天気予報を見る
 
新聞購読申込

甲子園大会100回 県勢あの夏の記憶(7)第77回(1995年)2回戦 春夏連覇の夢散る

2018/05/22 09:22

第77回(1995年)2回戦
第77回(1995年)2回戦

観音寺中央主将 土井裕介さん
観音寺中央主将 土井裕介さん

日大藤沢に春夏連覇の夢を絶たれ、相手の校歌を聞く観音寺中央ナイン=甲子園
日大藤沢に春夏連覇の夢を絶たれ、相手の校歌を聞く観音寺中央ナイン=甲子園

 春夏連覇を目指して甲子園に乗り込んだ観音寺中央。宇都宮学園(現文星芸大付、栃木)との1回戦は九回に4点を奪って逆転勝ちした。

 2回戦は日大藤沢(神奈川)と対戦。二回に先制したが、再三の好機を逃し続けた。2―3で迎えた九回、小倉英貴、土井裕介の連打で1死一、二塁として久保尚志の左前打で追いついたものの勝ち越せず、延長十一回裏に1死二、三塁とされ、最後は二塁内野安打でサヨナラ負けした。

観音寺中央主将 土井裕介さん 「負ける準備してなかった」
 延長十一回。1死から7番打者に右越えへ三塁打を打たれた。中継プレーでアウトにできたと思ったが、クロスプレーでセーフに。そして8番打者のとき、スクイズを防ぐためにセンター田中(靖教)を投手の横に置く極端なシフトを敷いた。僕たちも初めての作戦でワクワクしたし、球場もどよめいた。

 結局、四球と盗塁で二、三塁。そして9番打者を2ストライクに追い込んで通常の守備に戻した。その後、前進守備の一、二塁間に高いバウンドのゴロを打たれ、二塁の小倉がつかんで本塁へ送球したがセーフとなってゲームセット。少し送球が浮いたとはいえ、難しい体勢からだった。ストライクを投げていても際どかったと思う。

 このチームは練習試合でもほとんど負けず、センバツは優勝。夏の県大会は本当に厳しい戦いだったが、甲子園では勝てるかなと不安に感じたり、勝ちたいと思ったりすることはなかった。最後は勝っているに違いないと。こういう精神状態をゾーンというのかもしれないが、それくらい勝利を疑わなかった。

 だから負けたとき、涙が出なかった。正直、負ける準備をしていなかったので何をしていいか分からなかった。甲子園の土を取ることも普通に忘れていたくらい。試合後の取材など全てが終わり、どっと涙が出た。

 橋野(純)先生が、当時では最先端の選手主体の野球を取り入れ、本当に練習メニューを全て選手で考えてやっていた。今では考えられないが、試合で選手交代を進言したり、守備タイムを選手で取ったりもした。日大藤沢戦でも八回に1点を取られた後の無死一、二塁で勝手にタイムを取り、練習してきたバントシフトを敷いてその後を無失点。あの試合、いいプレーもたくさんあったと思う。

 悔やむとすれば試合の前夜、主将の僕はレギュラーを集め、いつもの一戦必勝ではなく「序盤からいこう」と話したこと。油断ではないが、早く点差を広げて控えの選手を出してやりたいという思いだった。

 それが影響したかどうかは分からないが、試合は四回までに7安打しながら、けん制死などもあって1得点。取れそうで取れなかった。九回の無死一、二塁のチャンスも勝ち越せると思っていたが、続く田中の当たりは完全に捉えながらレフトライナー。久保のレフト前ヒットで追いついたが、一気にいけなかった。

 今思うと、余計なことを言ったのかもしれない。(文中敬称略)

 どい・ゆうすけ 観音寺中央高の主将、遊撃手として1995年選抜大会優勝。同年夏の甲子園は2回戦敗退。関大―三菱自動車岡崎を経て、2006年から母校(現観音寺総合高)野球部で指揮を執る。兵庫県出身。観音寺市在住。40歳。

同じジャンルの記事

注目の情報

顧客管理が簡単にできるASPシステム「クライゼル」を発売中

顧客管理が簡単にできるASPシステム「クライゼル」を発売中
トライコーン株式会社では、本格的な顧客管理を実施したい法人向けASPサービスクライゼル」を発売しています。CRMもお任せください

詳しく見てみる→

▲このページのトップに戻る
購読のお申込みは0120-084-459

SHIKOKU NEWS 内に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。 すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

Copyright (C) 1997- THE SHIKOKU SHIMBUN. All Rights Reserved.