金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第49話

岸岱筆 柳・白鷺図 菖蒲・群蝶図

江戸期、既にギフチョウ

明治学院大学教授・山下裕二

 岸岱と書いて、「がんたい」と読む。古美術に関心があっても、この画家の名前を知っていて、すぐに絵が思い浮かぶ人は、よほどの専門家でもない限りほとんどいないだろう。私とて一昨年の暮れ、雑誌『ブルータス』の特集「四国探検帖」の取材で金刀比羅宮を訪れるまで、この画家にさして関心を持っていたわけではなかった。

 その折の取材では、奥書院上段の間、伊藤若冲(一七一六~一八〇〇)が描いた百花図を撮影し、金刀比羅宮文化顧問としてリニューアル計画の指揮をとる田窪恭治さん、茶道・武者小路千家の若宗匠・千方可(まさよし)さんと鼎談することが、おもな目的だった。そして、個人的には讃岐うどんを堪能することも…。

 もちろん、書院のいちばん奥にある、若冲の花の間は素晴らしかったのだが、その手前の二室、岸岱が障壁画を描いた柳に白鷺の間、菖蒲と群蝶の間の見事さに、すっかり感心したのだった。

岸岱筆「柳・白鷺図」
岸岱筆「柳・白鷺図」

 岸岱(一七八五~一八六五)は、京都で虎描きの名手として一世を風靡した人気絵師、岸駒(がんく)(一七四九~一八三八)の子。いまでこそ、「岸派(きしは)」については、知る人ぞ知る、という程度の認識だが、江戸時代後期、虎というキャラクターを量産した流派として、絶大な人気を誇っていた。

 そんな都の人気絵師、岸派の二代目が、金刀比羅宮の障壁画を描くことを依頼された。天保十五年(一八四四)のこと。事前に、綿密な図面を渡されていたんだろう。岸岱は周到に計画を練って、この仕事に臨んだはずだ。柳に白鷺の図は、鷺が部屋をぐるりと飛翔する動きを描き出した、きまじめな、隙のない構成。ここまでは、計算どおりだっただろう。だが、菖蒲と群蝶の間では、当初の設計案を変更したんじゃないか。

400頭以上の蝶が乱舞する岸岱筆「群蝶図」
400頭以上の蝶が乱舞する岸岱筆「群蝶図」

 襖には、予定通り菖蒲を描いたが、長押(なげし)の上には、四百頭以上の浮遊する蝶が描かれる。この組み合わせは、障壁画の常識を逸脱している。聞けば、当地に住んでいた合葉文山(あいばぶんざん)という蝶のコレクターが、自ら集めた標本やスケッチを、岸岱に惜しみなく提供したのだという。

 この群蝶の中に、なんと、明治時代になってから発見、命名されたというギフチョウが描かれている。明治四十四年、この絵を調査したギフチョウの命名者、名和靖博士は、天保年間にすでに描かれていることに、ひどく驚いたという。かつて昆虫少年だった私は、この話にいたく感銘して、合葉文山と岸岱の交友に思いをはせたのだった。

 そして、再び金刀比羅宮を訪ね、群蝶の図を熟視して、この文章を書いている。

(2004年3月21日掲載)

明治学院大学教授・山下裕二氏

やました・ゆうじ 1958年広島県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒、同大学院修了。同大助手、明治学院大学助教授を経て現職。93年、論文「夏珪と室町水墨画」で国華賞。著書・論文集に『岡本太郎宣言』(平凡社)『室町絵画の残像』(中央公論美術出版)『日本美術の二○世紀』(晶文社)など。日本美術応援団団長、美術史家。

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