金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第48話 

玉垣と金丸座の思い出

2人一緒の参拝記念に

歌舞伎俳優・中村鴈治郎

 <奥社への千三百六十八段の石段を上り終えるころ、向かって右手に「中村扇雀」「扇千景」と刻まれた玉垣が並んで建つ。一九七九(昭和五十四)年三月に完成した奥社道(おくのやしろみち)玉垣のことだが…>

1979年に完成した玉垣。中村扇雀(現3代目鴈治郎)さんと扇千景さん夫妻の名前が見える
1979年に完成した玉垣。中村扇雀(現3代目鴈治郎)さんと扇千景さん夫妻の名前が見える

 あれはね、前の年の夏ごろでしたか。ちょうど、家内と二人で参拝した際、その記念にと奉納させていただいたんです。金刀比羅宮へは四国公演の際、必ずお参りしていたんですが、何しろ夫婦そろっては、その時が初めて。家内がフジテレビで五年間、「3時のあなた」って番組の司会をやっていましたから、時間が取れなくて。そもそも私の家と金刀比羅宮、それに金丸座とは、不思議なご縁で結ばれているんです。非常に思い出深い地で、駕籠に乗って、あの石段も上りました。庶民的な街の雰囲気や本宮からの、のどかな平野の風景が印象的です。

 <初めての参拝は>

 確か、五四(昭和二十九)年だと記憶しています。ちょうど五十年前ですか。新橋演舞場(東京)で近松門左衛門の「曽根崎心中」を復活させた翌年。金丸座へ公演に訪れた際に、父(二代目鴈治郎)と一緒にお参りしたのが最初です。当時、上方歌舞伎は、四国や九州などへたびたび公演に出掛けていたんです。父も祖父(初代鴈治郎)と参拝したと話していました。参道沿いにあった敷島館が定宿でした。

 <当時の金丸座の印象は>

 いまもそうですが、とにかくお客様と舞台が近いし、親しみを感じます。大阪の大西座を模して造られたと聞いていますが、舞台や花道、楽屋などにしても、上方の匂いのする芝居小屋です。

 <現在の地に移築復元、七六(昭和五十一)年三月に完成した>

 先ほど、何かとご縁があると言いましたが、金丸座の完成記念の式典に父が出席し、こけら落としの舞台で「浦島」を舞わせていただきました。昔のままに復元された金丸座を見て、気に入った様子でしたね。

1979年に完成した玉垣。中村扇雀(現3代目鴈治郎)さんと扇千景さん夫妻の名前が見える
1979年に完成した玉垣。中村扇雀(現3代目鴈治郎)さんと扇千景さん夫妻の名前が見える

 <八一(昭和五十六)年に近松座を立ち上げられた>

 近松や坂田藤十郎の復活上演が目的でした。今年で二十回になる「こんぴら歌舞伎」の人気もそうでしょうが、日本人の心の中には、自国の文化を大切にしたいという思いが潜在的にある。四百年の歴史を持つ歌舞伎も誇るべき伝統文化なんです。でも、演じ手が怠けていちゃダメ。盛り上げていかないと。それも上方歌舞伎と江戸歌舞伎の両方が発展していかなきゃ、歌舞伎全体が衰退する。じゃあ、上方の私にできることは何だろうって考えていると、近松作品に回帰して、上方歌舞伎のよさを伝えたいと思うようになった。

 <二〇〇五(平成十七)年に上方歌舞伎の大名跡・坂田藤十郎を二百三十年ぶりに継がれるが>

 藤十郎は上方歌舞伎の大恩人、私にとっても憧れの名跡。でも継ぐ人がいなくて、いまの人たちの心の中から忘れ去られようとしている。そこで私が継ごうと。金丸座では九〇(平成二)年九月の琴平町町制百周年記念公演で、扇雀として最後の舞台を務めました。鴈治郎として金丸座に立つことはかないませんでしたが、藤十郎襲名の際は、上方歌舞伎の雰囲気の残る金丸座でもぜひ、襲名披露をやりたいものですね。
 (二月、東京・歌舞伎座で)

(2004年3月14日掲載)

「こんぴらさんとは、何かとご縁が深いんです」などと語る中村鴈治郎さん=東京都中央区、歌舞伎座
「こんぴらさんとは、何かとご縁が深いんです」などと語る中村鴈治郎さん=東京都中央区、歌舞伎座

なかむら・がんじろう 1931年京都市生まれ。2代目中村鴈治郎の長男。41年、2代目中村扇雀を襲名し、初舞台。49年、武智鉄二の武智歌舞伎に参加。53年、2代目鴈治郎と「曽根崎心中」を復活上演し、お初役が評判に。90年、3代目鴈治郎を襲名、同年紫綬褒章。94年重要無形文化財保持者(人間国宝)。(2003年文化功労者。

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