金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第43話

重要有形民俗文化財に指定された奉納資料

海の暮らし、習俗の宝庫

元瀬戸内海歴史民俗資料館調査普及課長・徳山久夫

 「讃岐の金毘羅さん」といえば、海上交通安全の祈願をもって知られる。漁民や船乗りの間で篤く信仰されていたことは、江戸時代以来の船絵馬・海難の絵馬・和船模型・大漁旗・流し樽などの貴重な資料が、数多く保存されていることからうかがえる。これらの資料は、自然の脅威と恵みのなかに生きてきた海の暮らしと習俗、そして寛文十二年(一六七二年)の西回り航路の開発とともに、東西の大動脈として機能した瀬戸内の歴史を物語っている。

金毘羅庶民信仰資料 告示内容
金毘羅庶民信仰資料 告示内容

 さて、これら資料の重要有形民俗文化財指定の大きなポイントは「庶民信仰資料」としての意義付けにある。私もこの調査にかかわる機会を得て、多くのことを学んだ。

 当時の文化庁の主任文化財調査官木下忠氏は、「ここにある数多くの石段・玉垣・燈籠・狛犬は金刀比羅宮の一つの象徴である。玉垣・燈籠は本社周辺だけではなく、離れて存在する神苑や街道の入り口にも多く配置されている。これが金毘羅庶民信仰資料の一つの軸になる」と言われ、国指定へ向け、われわれを指導してくださった。広く庶民信仰資料の保存と保護という視点からの調査は画期的であり、信仰と文化財の接点を明確にしてくれる。まさしく、神域全体が民俗資料の宝庫である。

本宮下の四段坂石段
本宮下の四段坂石段

 こうした全国各地からの奉納物には、それぞれに寄進銘があり、江戸時代中期ごろからの金毘羅信仰の盛況ぶりや江戸・京都・大坂諸国の講中や阿波藍とか富山の売薬、廻船業などの変遷や、地域的な広がりを物語っている。

 それは、この事業に尽力された琴陵光重宮司が「金毘羅庶民信仰資料集」の刊行の際に述べられた「それにしてもよくぞこの辺地に我が国の津々浦々から、さては琉球、中国の人までも拓けてなかった海路・陸路をたよって参詣、喜捨したものである。しかもそれらは多くの庶民の、船びとの、百工千職の意志を伝えて風雪を超えてきたものである」という感懐に如実である。

 文化庁に答申する調査資料の作成に当たっては、寄進銘を正確に読むこと、玉垣・燈籠の実測にも力が注がれ、調査事務所関係者による二年にあまる努力の結集として、昭和五十四年(一九七九年)五月二十一日付で指定されたわけである。

大阪阿波座の中川九兵衛が明治21年に海上安全を祈願して奉納した羅針盤
大阪阿波座の中川九兵衛が明治21年に海上安全を祈願して奉納した羅針盤

 ここで指定された有形文化財のいくつかを紹介してみよう。

 船絵馬では、明治二十一年(一八八八年)奉納の絵馬屋藤兵衛の作品が注目される。和船模型では、寛政八年(一七九六年)に奉納されている精巧で大型の表菱垣(おもてひがき)廻船が造船技術史からみても、特にすぐれていると評価される。

 流し樽は、空き樽に「奉納金毘羅大権現」と書いた幟を立て、酒や賽銭を添えて、海や川に流して「こんぴら」に代参してもらう習俗だ。流し木は、大木を流してお宮の建造に使ってもらおうという願いをこめたもので二本現存している。

第二十八蛭子丸の大漁旗(139×202センチ)
第二十八蛭子丸の大漁旗(139×202センチ)

 大漁旗は、新造船が進水する際、知り合いから贈られたもので、大漁を祝う。船舶漁具には、実物の四ツ爪錨や奉納のための大きな羅針盤が指定されている。

 神域の参道の左右にある石燈籠や青銅製燈籠の数の多さも、驚きである。釣燈籠には、塩飽の船乗りの寄進銘があり、在りし日の瀬戸内海上交通の息吹が身近に感じられる。有名な高燈籠は寒川郡の砂糖会所からの奉納物である。また、ご本宮下の石段は玉垣や百度石とともに指定された。石段の指定は珍しい。

(2004年2月8日掲載)

元瀬戸内海歴史民俗資料館調査普及課長・徳山久夫氏

とくやま・ひさお 1931年池田町生まれ。香川大学学芸学部卒。73年、瀬戸内海歴史民俗資料館発足に伴い、専門職員として海上信仰・海の史料を調査。古文書の収集整理をした。その間、金刀比羅宮の庶民信仰資料の指定作業に加わった。著書に「人物海の日本史」(共著)「香川県の百年」(同)「金毘羅庶民信仰資料集第1巻」など。

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