金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第29話

志賀直哉「暗夜行路」

小説の神様が見た宝物

作家・佐々木正夫

大正6年秋、二女・留女子を抱く志賀直哉(日本近代文学館提供)
大正6年秋、二女・留女子を抱く志賀直哉(日本近代文学館提供)

 小説の神様といわれた志賀直哉(一八八三―一九七一年)の長編小説「暗夜行路」の中で、金刀比羅宮や琴平、高松などが描かれていることは、あまり知られていない。

 小説の主人公(時任謙作)が琴平にやってきたのは、九十年前の大正二年である。そのころの直哉は、尾道で一人住まいしていた。三十歳であった。「志賀直哉全集」(岩波書店)の年譜によると『二月、長篇の草稿二百枚に達す。気分転換のため琴平、高松、屋島を旅行』とある。

「暗夜行路」の中で触れられている「保元・平治物語」
「暗夜行路」の中で触れられている「保元・平治物語」

 「暗夜行路」は私小説ではないが小説の主人公の讃岐路は、ほぼ事実に近い、と思っている。

 尾道から多度津行きの巡航船に乗った。「志賀直哉全集」第五巻には「暗夜行路」の決定版、第六巻には「暗夜行路」の草稿(第一稿)が収録されている。そのうち、琴平の部分の決定稿は約四百字、草稿は原稿用紙十五枚(約六千字)もある。読みくらべてみると、さすが"小説の神様"といわれるだけあって、大切な部分だけを残している。

 琴平で一泊した宿は、草稿には「虎屋」と書いているが、決定稿には「一人では泊めまい」とだけしか書いていない。また、草稿には社務所付近には小さな動物園があったようで、『寶物庫がある。それをまわると、大きな熊が檻りへ入れられてゐた』、そこへ四国巡礼のお遍路さんが来て、『杖で熊にからかってゐた。熊は知らんふりをしてゐた。熊の方がズット偉そうに見えた』『熊を此所でソット逃がしてやったらどうするかしらと考へた』とあり、実際には逃がしたりはしないだろうが、たとえ草稿にしろ、随分、無茶なことを考える直哉だ。

 翌朝、直哉は宝物を拝見に出かけた。決定稿には、『其處の寶物の或物が彼を楽ました。伊勢物語、保元平治物語などの昔の装幀を彼は美しく思った。それから日頃嫌ひな狩野探幽の雪景色を描いた墨絵の屏風もいいと思った』『本社へ上る急な石段がある。その前が殊にいいやうに思った。然し本社から奥の院までの道は、最近作ったものらしく…』とあり、直哉は奥の院までの千三百六十八段を登っている。

狩野探幽の「山水図屏風」
狩野探幽の「山水図屏風」

 直哉の讃岐路二日目は電車で高松へ行き、栗林公園散策のあと、屋島山頂へ。同夜は屋島館で一泊。

 『彼は松林の中の坂道を休み休み登って行った』『高松からずっと続いてゐる鹽濱(しおはま)が段々下の方に見えて来た。鹽焼きの湯気が小屋の屋根から丸い棒になって、夕方の穏やかな空気の中に立ってゐる。それが點々と遠く続く…』

 このあたりは名文として、わたしは文章教室などで教材として使っている。

(2003年10月19日掲載)

◆暗夜行路 志賀直哉の代表作。1921(大正10)年から37(昭和12)年まで雑誌「改造」に連載。出生に秘密を持つ主人公が、身辺に起こる宿命的な過失のために苦悩する姿を描く。12(大正元)年、前身となる「時任謙作」の執筆が始まっている。「人間の潔癖な魂の発展」をテーマに取り上げ、近代日本文学に大きな影響を与えた。

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