金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第26話

美を求めた明治時代の調査

新発見のある宝のお山

元奈良国立博物館長・山本信吉

 明治三十三(一九〇〇)年五月に内務省(今の総務省の前身)は、金刀比羅宮で建物・宝物の調査を行った。明治政府が神社・寺院の建物や宝物の朽損・破損を防ぐため、明治三十年に「古社寺保存法」という新しい文化財保護の法律を作り、全国調査に乗り出していたためである。その一環として、香川県でも神社・寺院調査が実施され、金刀比羅宮もその対象となった。同宮に国として保護すべきどんな建物・宝物があるか実態を調べ、国宝とする候補を内定するためだった。

「国宝さぬき日記」(さぬき市、松岡弘泰氏蔵)
「国宝さぬき日記」(さぬき市、松岡弘泰氏蔵)

 調査に当たったのは古社寺保存会の委員であった小杉温邨(こすぎすぎむら)(一八三四―一九一〇年)ほか一名で、香川県庁の職員が同行した。小杉は古典学者で古美術を研究し、東京美術学校教授を務め、正倉院宝物の調査も行った有名な研究者で、五月二十日から六月六日まで十八日間、香川県内の五十六カ所を調査した。その状況は、小杉の調査日記である「国宝さぬき日記」で知ることができる(この記録は香川県歴史博物館で二〇〇一年に展示され、注目された)。

 それによれば、金刀比羅宮の調査は五月二十九日から同三十一日にかけて行われ、琴陵光煕(てるさと)宮司の案内で宝物約百五十件を閲覧した。調査目録には歴代天皇の宸筆(しんぴつ)、和歌をはじめとして、絵画、工芸品、刀剣、舞楽面、さらに古文書などが記載されていて、国宝候補には朱で丸印を付け、特に優れたものには写真を撮るよう注記している。

 丸印が付いたのは、「伏見天皇宸筆和歌集」「絹本著色釈迦十六善神像」「絹本著色弁財天十五童子像」などで、大書院の円山応挙、佐伯岸岱(がんたい)、伊藤若冲(じゃくちゅう)の襖絵(ふすまえ)などは写真を撮影するよう指示している。この調査目録には古文書、和歌の内容が詳しく書かれているのが特徴で、これは小杉が歴史に関心が深く、歌人としても著名であったためであろう。

金毘羅大権現時代の金堂だった旭社(昭和57年2月、重文指定)
金毘羅大権現時代の金堂だった旭社(昭和57年2月、重文指定)

 調書は建物についても記載している。例えば旭社(あさひのやしろ)について、この建物がもと金毘羅大権現時代の金堂であったこと、装飾が華やかで高野山の金堂を模したものだと述べている。高野山金剛峯寺の金堂は昭和元年に焼失しているから、旭社は今は失われた高野山の金堂の姿を伝えた貴重な建物ということができる。

 小杉は三十日の午後に白峰神社で「なよたけ物語」一巻をみて写真を撮るよう命じ、この絵巻はかつて民間に流出したが、生駒家の努力で神社に奉納されたと述べている。ただし、小杉は目録に「岡田為恭模本のすちがき、別に一巻あり、已に原本にたがへり」と記して、幕末の画家岡田(冷泉)為恭(ためちか)(一八二三―六四年)が、かつてこの絵巻を写していて、その模本と絵巻の順序が違うことに注意している。為恭は大和絵(やまとえ)の名手で絵巻物の優れた模本を描き、「春日権現記」「志貴山縁起」などの模写が金刀比羅宮に現存している。小杉はこれらの模本にも注目していたことが分かる。

 明治三十四年三月に国は、「弁財天十五童子像」「なよたけ物語」、応挙の「竹林七賢図」「瀑布及山水図」「遊鶴図」「遊虎図」を国宝に指定し、大正八(一九一九)年には「伏見天皇宸翰御歌集」が国宝となった。小杉らの努力が実を結んだのである。金刀比羅宮の特色は、調査が行われるたびに価値が明らかにされる建物、宝物が多いことで、その歴史は明治時代に始まっている。

(2003年9月28日掲載)

元奈良国立博物館長・山本信吉氏

やまもと・のぶよし 1932年東京都生まれ。国学院大大学院博士課程修了後、文化庁主任調査官、同美術工芸課長、同文化財鑑査官などを歴任。91年から95年まで奈良国立博物館長。専門は日本文化史。長年にわたり、古典籍・古文書・名家筆跡の文化財指定調査に従事した。現在、香川県文化財保護審議会委員を務める。

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