金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第22話

南北朝時代の長船鍛冶・師光

随所に豪壮さと優美さ

前銃砲刀剣類登録審査委員・中条新一

 備前国には、吉井川と旭川が南流し、その中流から下流域にかけて多くの刀工集団が群居していた。

 名匠光忠(みつただ)・長光(ながみつ)父子は、蒙古襲来という未曽有の国難に対応して、大規模な工房を備え、幾多の弟子を抱え、多くの名刀を鍛造したことから「長船物(おさふねもの)」と呼ばれ、名刀の代名詞のごとくもてはやされて、室町時代末期までその隆盛を極めた。

 南北朝時代後期になると、長船鍛冶であって兼光(かねみつ)およびその一門や、長義(ながよし)系などに属さない系統の明らかでない多くの刀工が出現。これを一括して古くから「小反物(こぞりもの)」と呼んでいる。小反物の代表刀工としては秀光(ひでみつ)、師光(もろみつ)がおり、いずれも当時の備前長船物を代表する名工である。

重文 『太刀 銘 備州長船□□(伝師光)』(1392年)
重文 『太刀 銘 備州長船□□(伝師光)』(1392年)

師光の太刀拵
師光の太刀拵

師光は小反物の代表
 金刀比羅宮のこの師光の太刀は、出来が優れており、小反物の代表格として取り扱われている。「明徳三年」(一三九二年)紀のある貴重な名品だ。大正十二年三月二十八日、当時の国宝指定。

重要文化財
太刀 備州長船□□(伝師光)
明徳三年□□日
(注)□は解読不明
附(つけたり) 金梨地葵紋蒔絵鞘(きんなしじあおいもんまきえさや)
糸巻太刀拵(いとまきたちしつらえ)
法量 刃長(はちょう) 二尺五寸弱(七五・七五糎)
反り 一寸五厘(三・二糎)
形状 鎬造(しのぎづくり)・庵棟(いおりむね)・小切(こぎつ)先(さき)で腰反(こしぞ)り(刀身の腰の付近で強く反る)が強くついて堂々とした太刀姿。
鍛(きたえ) 板目(いため)に杢(もく)まじりの肌がよくつみ、淡い乱(みだ)れ映(うつ)りが立つ。
刃文 匂出来(においでき)の互(ぐ)の目に小丁(こちょう)子(じ)まじり、腰開き気味にゆったりとしており尖(とが)り刃(ば)風の互の目がまじる。
茎(なかご) 生(う)ぶ、銘のある部分が朽ち込んでいるがかろうじて判読できる。
彫物 表裏に棒樋(ぼうひ)を丸留(まるど)め。

讃岐松平家伝来の見事な刀装具
 なお、この太刀には外装として金梨地糸巻太刀拵が付属している。糸巻太刀は、桃山から江戸時代の儀式の際に高級武家が体につけて用いたもので、柄(つか)は白鮫皮(しろさめかわ)で包み、その上に茶色の糸で菱巻(ひしまき)を施す。

 鞘は金梨地で表裏に金蒔絵の葵紋を散らし、渡巻(わたりまき)は柄と同じ茶系の菱巻である。総金具は赤銅魚子地(ななこじ)に金小縁(きんこぶち)、金葵紋を高彫し、入念に仕立てられており、漆工・金工の技術も優れた気品のある作。譜代大名家に伝わったものだけに、きらびやかさを控えて、非常にすっきりとした品のいい見事な太刀拵である。
 慶安元(一六四八)年八月二十八日、讃岐高松藩初代藩主・松平讃岐守頼重の奉納。

 師光の太刀で重要文化財に指定されているものは、金刀比羅宮所蔵の太刀のほか、日枝(ひえ)神社(東京)、北野天満宮(京都)が所蔵する三口(こう)のみである。

(2003年8月31日掲載)

◆備前刀の姿の変遷 鎌倉中・末期ごろの作風は身幅が広く、猪首切先で腰反りのついた豪壮な太刀姿が多い。南北朝になると鎌倉末期の作風をさらに極端に誇張した姿となり、太刀は3尺(90・9センチ)以上に及ぶ大太刀が多く、身幅も特に広くなる。反りは浅く、切先は大きく伸びたものになった。背負太刀、野太刀とも呼ばれる。南北朝後期の永和ごろ(1375年)以降は身幅、切先とも尋常あるいは細身になっていく。

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