金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第21話

重文 備前長船長光の名刀

美観と威力を兼ね備え

前銃砲刀剣類登録審査委員・中条新一

 金刀比羅宮には古くは鎌倉時代から、現代刀匠の作品に至るまで、各時代の刀工たちが魂を込めて鍛え上げた逸品が多数保存されている。その中でも「長光(ながみつ)」の太刀(明治四十四年四月十七日、当時の国宝指定)は、長光の特色を最もよく示しており、同作中の優品と言えよう。その生(う)ぶのままの姿は貴重である。

重文 『太刀 銘 長光』(鎌倉時代)
重文 『太刀 銘 長光』(鎌倉時代)

 現在、国宝・重要文化財に指定されている刀剣のおよそ四割は、備前刀が占めており、太刀の国宝指定第一号は長光(大般若(だいはんにや)長光・東京国立博物館蔵)。長光は国宝に六口(こう)、重要文化財に二十八口が指定されている。これら太刀のほか、国宝に薙刀(なぎなた)一口(備前国長船住人長光造・佐野美術館蔵)、重要文化財に薙刀一口(銘、長光・東京国立博物館蔵)があり、剣二口、小太刀一口もそれぞれ指定されている。

 現存する古名刀のうち、長光ほど勝れた作品を多く残している刀工はなく、有銘の名物を数多く残している点でも古刀期の第一人者であり、これは長光の技量がいかに優れ、非凡な名工であったことを物語っている。

長光と長船派の台頭
 鎌倉中期に備前長船(おさふね)(岡山県長船町)の地に巨匠・光忠(みつただ)が現れ、その子・長光もまた、父に並ぶ名工として知られ、最大流派となり、多くの名工を世に送り出している。その一派を長船派といい、室町時代末期まで名実ともにわが国第一の流派として繁栄し、さらに江戸時代には、数は少ないながらも刀工が活躍し、江戸末期までその卓越した技術を継承してきた。

周防岩国藩主、吉川監物駿河守 愛蔵の名刀

重要文化財
一 太刀 長光(鎌倉時代・備前国)
法量 刃長(はちょう) 二尺五寸六分五厘(七七・七五糎)
反り 一寸(三・〇三糎)
形状 鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、腰反(こしぞ)り、踏ん張りがあり、猪首切先(いくびきつさき)の太刀姿。
鍛(きたえ) 小板目肌(こいためはだ)よくつみ、乱れ映りがあざやかに立つ。
刃文 華やかな丁子乱(ちょうじみだれ)で蛙(かわず)子(こ)丁字に互(ぐ)の目がまじり足や葉がよく入る。
茎(なかご) 生ぶ、先栗尻(さきくりじり)、目釘孔(めくぎあな)二、佩表(はきおもて)(柄(つか)の部分)やや棟寄りに「長光」と二字銘がある。

(注)太刀は刃を下にして腰に下げる刀剣である。

 この太刀は身幅やや広目で、先身幅の張った猪首切先(切先が詰まって、先幅に比べて短く見え、いかつい形になるもの。鎌倉時代中期の作に多い)の腰反り(刀身の腰の付近で強く反る)、踏ん張りのある堂々とした太刀姿で、時代の特色と長光の得意とした豪壮華麗な作風を示しており、見事な名刀と言えよう。

 社伝によれば、周防国岩国毛利家の臣、吉川監物の奉納だという。

(2003年8月24日掲載)

前銃砲刀剣類登録審査委員・中条新一氏

ちゅうじょう・しんいち 1923年、琴平町で五人百姓の家筋に生まれる。法政大学専門部法律科卒業後、四国通商産業局勤務。今年3月まで銃砲刀剣類登録審査委員。現在、金刀比羅宮氏子世話人、金刀比羅本教信徒世話人。琴平町文化財保護審議会委員も務める。金刀比羅宮社誌「ことひら」に『金刀比羅宮の刀剣』を連載中。

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