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甲子園大会100回 県勢あの夏の記憶(4)第63回(1981年)3回戦 V候補に延長サヨナラ

2018/05/19 09:41

第63回(1981年)3回戦)
第63回(1981年)3回戦)

志度商エース 白井宏範さん
志度商エース 白井宏範さん

3回戦で秋田経大付に延長十回サヨナラ勝ちし、ポーズをとるエース白井(左)と決勝打の原田
3回戦で秋田経大付に延長十回サヨナラ勝ちし、ポーズをとるエース白井(左)と決勝打の原田

 志度商は県大会決勝で高松一を下し、34年ぶりに夏の甲子園出場を果たした。1回戦は投打がかみ合い、高岡一(富山)に8―0で快勝。2回戦も福井商に3―1で競り勝った。秋田経大付(現明桜)との3回戦は、1―1の延長十回1死一、二塁から原田三郎が左翼線にサヨナラ打を放ち、劇的な勝利で同校2度目の8強入りを決めた。

 準々決勝の名古屋電気(現愛工大名電、愛知)戦は白井宏範が9回3失点と粘ったが、打線が2安打無得点。工藤公康投手(現ソフトバンク監督)の前に力尽きた。

志度商エース 白井宏範さん 「入れ」祈った打球、左翼線へ
 「悔いの残らないようにやってこい」。3回戦の試合前、神前(利孝)監督からこう言われた。相手は大会屈指の右腕松本(豊)を擁す秋田経大付。優勝候補に挙がっていたチームだった。ただ、うちもここまで一度も負けてない。悪いイメージはナインの頭になく、「次も勝てるんじゃないか」というような雰囲気がチームにあった。

 同点に追い付かれた九回は、この回で終わらせたい気持ちが強すぎて力が入った。2死二塁で打席には松本。ここまで抑えていたが、内を狙った直球が少し甘くなった。打球は自分のグラブに当たって一、二塁間へ転がった。詰まってはいたけど、鋭い当たりだった。

 それでも「同点までは大丈夫」が志度商の戦い方。全員が「延長も戦い抜くぞ」という粘り強い気持ちだった。

 十回1死一、二塁で左の3番原田の打席はネクストバッターズサークルで祈るように見守った。流し打った飛球はレフトへ。私も10回を投げて体力を消耗していたし、入ってくれと思った。左翼線ぎりぎりに落ちた瞬間は本当にほっとした。

 この時強く印象に残っているのは、原田が一球一球監督の方に目をやっていたこと。サインとか特別な指示はない場面だったけど、気持ちが舞い上がりそうなときに監督から声をかけられることで、安心したかったのだと思う。監督もそれに気付いて「体を残せ」などとアドバイスしていた。

 名古屋電気の工藤は甲子園で対戦した中で一番いい投手だった。読み通りの真っすぐがきても、凡打になる。それくらいの切れがあった。

 準々決勝で負けて悔しい思いはもちろんあったが、よくここまでいけたな、と満足できる部分も感じていた。全試合で皆が力以上のものを出した。厳しい練習を頑張ってきて良かったなと初めて思えた。神社の階段を何度も駆け上がったり、際どいところに飛ぶ監督のノックに耐えたり…。目標に向かって頑張ること、仲間同士でコミュニケーションをとりながら練習することの大切さを、高校野球を通して学ばせてもらった。

 暑い中、毎試合応援してくれた応援団やブラスバンド、志度商OBへの感謝は尽きない。夏の甲子園で香川代表が長年初戦負けしていたことや、強かった高松商ではなくうちが久しぶりの甲子園で8強まで勝ち進んだことも重なり、現地では志度商関係者以外の“甲子園ファン”からも温かい声援を頂いた。たくさんの人に注目してもらい、本当にありがたかった。

(文中敬称略)

 しらい・ひろのり 2年秋から主将を務め、3年時は4番エースとして活躍した。1981年夏の甲子園では1回戦で完封勝ちを収めるなど計4試合を一人で投げ抜き、8強入りに貢献。駒大卒業後はNTT四国で6年間プレーした。高松市在住。54歳。

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