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高松城天守閣解体「明治17年」裏付けする日記発見

2007/10/24 09:26

高松城天守閣の取り壊し時期を示す記述が見つかった「年々日記」=香川県さぬき市志度、多和神社
高松城天守閣の取り壊し時期を示す記述が見つかった「年々日記」=香川県さぬき市志度、多和神社

 高松城(香川県高松市玉藻町)の天守閣の解体時期を示す初の資料が、さぬき市志度の多和神社にある多和文庫の蔵書から見つかった。幕末から明治にかけ宮司だった松岡調(みつぐ)氏が、1884(明治17)年4月の日記で天守解体の様子を記していた。取り壊し時期を明記した資料はこれまで見つかっておらず、高松市教委は「城の歴史を裏付ける貴重な発見。天守閣復元の機運向上につながれば」としている。

 記述があったのは、松岡宮司が64(文久4)年から1902(明治35)年まで日々の出来事をつづった「年々日記」。1884年4月4日に「高松の御城なる天守臺(だい)を此間よりこほちかかれりと聞けるか けに半まてくつしたるを見る」と記していた。高松市の郷土史家、松本周滋さん(56)が日記(複写)を所蔵する県立文書館に照会して見つかった。

 天守閣は、版籍奉還後の70(明治3)年、高松藩庁から政府に取り壊し願いが出された記録はあるが、解体時期を示した資料はなく、84年と伝えられていた。

 松岡宮司は、解体を目にして「何となうあハれにて思ハすも涙をのこへり」と感慨にふけり、欄外には「天守臺を崩せるハいかなる故そ」と朱書き。市教委文化振興課の大嶋和則主査は「解体は取り壊し願いから十数年もたっており、『なぜ今さら』という思いと新体制への変遷の憂いが入り交じったのでは」と推察している。

 松岡宮司は30(文政13)年に高松藩士の家に生まれ、多和神社宮司などの傍ら国学者としても活躍。考古学や郷土史に関する文献、資料を集めた多和文庫を創設した。「年々日記」は当時の讃岐を知る貴重な資料として知られる。

年々日記明治17年4月
原文
 4日 …高松の御城なる天守臺を此間よりこほちかかれりと聞けるか けに半まてくつしたるを見る 何となうあハれにて思ハすも涙をのこへり…
(欄外)高松の天守臺を崩せるハいかなる故そ

訳文
 4日 …高松のお城の天守閣をこの間から壊しにかかったと聞いていたが本当に半分まで崩されたのが見える。なんとなく哀れで思わず涙をぬぐってしまった…
(欄外)高松の天守閣を崩すのはどうしてだろう

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