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母を思う

2012/05/11 11:38:31
 母(夫の母))は,92歳でこの世を去った。私は,母を心から愛し、ともに過ごしてきた日々は今も脳裏から離れることはなく、ずっと私の心の中に生きている。

 母が初めて夫とともに実家を訪ねて来た時,長い入院生活を終えて退院したところで、手を引かないと歩けない状態だった。結婚してからも氷枕をして病床に伏していた。

 この母の姿に、これまでの長い苦労を感じ、これからは私が母の杖になろうと決心していた。母は,一生薬を手ばなすことは出来なかったが,孫が誕生すると少しずつ元気になり,保育所のお迎えに行けるまでに回復してきた。

 しかし、母は決して孫に物や小遣いを与えて甘やかすことなく、常に温かい愛情を注いでいた。そして、いつしか娘と息子が祖母の杖になっていた。長男は車の免許を取って初めて祖母を乗せて四国一周をしたり、新築の家を見せようと入院している病院から暖かくして連れ出し、長い時間抱きかかえて見せて回っていた。長女も耳の遠くなった祖母の傍らでテレビの大きな音も気にせず、むしろ耳の遠い祖母を思いやっていた。

 母は生涯において、3回ほど突然、毎日欠かさず読んでいた新聞を読まなくなって、何を話しかけても反応しなくなり「母さん立派な病院をたてたなぁ。今日は、雲の上を馬が走っている」など…。それは、予期せずに襲ってきた。

 私は子どもたちを集めて「学校から帰ると、必ずおばぁちゃんと話をするように」。それから子どもたち二人は,これまで以上に祖母に話かけ、一緒に寝ていた。家族らのおかげで、いつしか母は元の元気をとりもどし乗り越えることができた。
                               
 私は,仕事と子育てだけでなくPTAや交通安全、男女共同参画活動などボ゙ランティア活動を次々と運営することになったが、母は常に、私に対して「あなたがいないと会が始まらないから、早くいかないと」と後押しをしてくれた。

 そして「あなたは、本当によく働いて感心するけど、人は人のために働いてやっと一人前」と言って温かく送り出してくれた。また「この娘がきてくれてよかった、よかった」と言って、常に喜んでくれていた。

 母とは生涯を通じて、けんかも争いもなく穏やかな毎日だった。私にとって母は苦しみも喜びも話せる良き相談相手であり、私の人生そのものだった。

 母亡き今、これからも母の教えを社会の幸せのために努力を尽くしていきたいと考えている。「お母さん、本当にありがとう」。今日も、母に語りかけている。                                                  (永峰 絹江)
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