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戦争の悲惨さに涙ぐむ

2010/06/08 16:33:07
戦争の悲惨さに涙ぐむ
 高松市の一宮中学校(門脇礼一校長)の1年生22人がこのほど、土庄町中央図書館へ戦争の話を聞きに来た。

 戦後30年と60年に、私が出版した「女神丸事件」の本を読んだ同校の谷政憲教諭から講演依頼を受けていた。

 同校では「7・4からの、かすかなる呼び声を未来へ=高松空襲に学ぶ」のテーマで、いくつかの班に分かれ、戦争体験者から話を聞き取り調査。7月4日の高松空襲や林飛行場、仏生山の被災者からも、班ごとに体験談を聞いている。

 終戦1週間前に起こった「女神丸の襲撃事件」を聞いた生徒たちは、戦争の悲惨さにほおをこわばらせていた。波静かな瀬戸内海で、武器も持たない1艘の民間定期船が、機銃掃射を受けた。この時、大勢の死傷者が出たことなど知らない世代の子どもたちは、真摯(しんし)な表情で講演を聴き、慰霊祭の話では涙ぐむ子もいた。

 講演の後、次のような質疑応答があった。

 男子生徒「当時敵国で、大勢の死傷者にかかわったアメリカを、今どう思っているのか?」

 新城「アメリカは、学校で教えられた鬼畜ではなかった。非常に友好的な人たちで、すぐに仲良くなった」

 女子生徒「戦争中は凄惨(せいさん)な事が続いたが、その中でも楽しい事もあったと思うが、それはどのような事か?」

 新城「空襲警報のサイレンが鳴ると、防空壕へ逃げ込み、暗闇で宿題が出来ず、先生も黙認してくれた。隣組の回覧板を届けたり、運動場を開墾して、サツマイモを植えたりして町内会のコミュニケーションがとれていた。アメリカでは原子爆弾だと言うのに、日本では竹やりの訓練ばかりしていた。疎開の子どもたちと仲良くなり、都会の話を聞いたり、食べ物を分け合ったりした。慰問袋を作って、戦地の兵隊さんに手紙や品物を入れて送った。返事の手紙が来ると、うれしかった。千人針(鉄砲の弾を避ける、おまじないの腹巻)に協力した」

 中学生たちの活発な質問が相次いでいた。                                               (新城 周子)
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