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シリーズ追跡は1998年1月、「どうなる98知事選」でスタートを切った。そして今年1月、今夏の知事選を前に再び同じテーマを掲げた。この間、12年の月日が流れ、今月末で500回を迎える。ネットの普及でニュースの速報性に目が向く中、活字媒体のメリットを生かし、身近な出来事の背景をじっくり探り、伝える作業を重ねてきた。500回の節目を前に、この100回を振り返り、「その後」が気になるニュースを再び追った。
島民の足、島民が守る 「1便5人」が成否の鍵
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| 新たな「島民の足」の担い手となる小豆島オリーブバスのバス停のサンプル。4月の運行開始に向け、準備が進む=土庄町内 |
小豆島バス(土庄町)が路線バス事業からの撤退を表明したのは昨年6月。それから3カ月。島唯一の公共交通機関がなくなることに危機感を募らせた島民が立ち上がった。住民の代表が発起人となり、路線バス事業を継承する新会社「小豆島オリーブバス」を設立、2010年4月の運行開始を目指すことになったのだ。島内の全世帯が自治会を通じて出資に応じ、土庄、小豆島両町も資本協力。文字通り島総ぐるみのバス会社が誕生した。
民間事業者が撤退したバス路線を、住民が継承するという全国にも例がない注目される取り組みだが、前途は多難だ。
最大の課題は、なんといっても利用者をどう確保するかに尽きる。新会社が受け継ぐ路線は、国、県の補助がある「生活交通路線」5路線と、地元2町の委託で走る「町委託路線」3路線の計8路線。いずれも、損失は補助金、委託料で穴埋めでき、原則的に赤字は発生しない。
ただ、生活交通路線の補助金交付には「1便当たり5人以上」という条件がつく。現状でもこの条件をクリアできていない路線があり、新会社移行後も「5人」の確保は容易でないとみられる。
路線バスの黒字化は小豆島に限らず極めて困難で、全国の事業者は経営の多角化で路線バスの赤字をカバーしている。しかし、新会社は路線バスに特化しており、「5人」を下回ることはすなわち最終赤字を意味する。それだけに、利用者確保は安定経営に向けた絶対条件となる。
新会社の体制にも不安がある。役員に就任した発起人の中には会社経営者はいるものの、路線バス事業の経験者はゼロ。こうした状況にも、新会社の谷久泰司社長=土庄町自治会連絡協議会長=は「当面のバスの運行は小豆島バスから移籍する実務部隊の社員だけで可能」として、路線バス事業の経営ノウハウを持つ人材は招致しない考えだ。
谷久社長は「島内に適当な人材は見当たらず、島外の人には島の地域の事情が理解できない。経費面からも役員に報酬を出すのは難しい」とその理由を説明する。ただ、今後、新たな利用促進策の展開など公共交通機関ならではの経営判断を迫られる場面は必ずあり、経営陣にバス事業経験者がいない状態は早急に改善すべきだ。
島ではハンドルを握る高齢者が多く、子供たちは保護者の送迎が当たり前で、本来、公共交通機関に頼るはずの交通弱者でも「バス離れが顕著」(谷久社長)という。新会社の使命は、出資者でもある島民の間に「オリーブバスは自分たちのバス」という意識を芽生えさせ、「バスに乗る文化」を再興することだ。
琴電連続高架事業は中止に
県公共事業再評価委員会は10日、琴電連続立体交差事業の中止を真鍋知事に正式答申した。答申を受け、県は年度内にも事業の中止を決定する見通しだ。都市計画決定から12年。紆余(うよ)曲折した大型プロジェクトがついに白紙撤回されることになる。
事業は、琴電の破たんや県の財政難から2004年に一時休止。暗礁に乗り上げた事業を中止へと動かすきっかけとなったのは、皮肉にも事業計画の見直しを検討するはずの有識者委員会だった。
追跡は6月、有識者委がまとめた最終結論を取り上げ、委員会が表向きには三つの見直し案を選ぶ一方で、最終結論に「時代遅れの高架はすべきでない」とのメッセージを込めたことに光を当てた。その後、県が再評価委に事業中止を諮問。事業再開か中止かで身動きが取れなくなっていた県の背中を、有識者委が押した格好だ。
事業は中止されても、琴電築港駅とJR高松駅の結節など連立事業の当初の課題が解決されたわけではない。県は17日に発表した補正予算案に両駅間の動線整備を盛り込み、課題を放置しない姿勢を示した。今後は、LRT導入を含め総合都市交通計画の策定を進める高松市と連携を深め、連立に代わる時代に即したまちづくりの方策を示すことが求められる。
技術高く、方言も習得 資格取得へ強まる不安
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| 日本語の勉強に励むティタさん(左から2人目)とヌリアーさん(左から3人目)=高松市岡本町、岡本荘 |
一昨年の秋、政府の経済連携協定で来日したインドネシア人介護福祉士候補者の女性4人を紹介した。「人材不足にあえぐ介護現場の救世主に」。期待を背負い、高松、坂出両市内の特別養護老人ホームで働き始めてから1年。彼女たちと再会した。
「お年寄りと一緒に食事したり、お茶をしたり。最初は緊張したけれど今は楽しい」。ヌリアーさんは岡本荘(高松市岡本町)での1年を、流ちょうな日本語で振り返った。「気候にも食事にも慣れた。刺し身も食べられるようになった」とほほ笑むのはティタ・ハルティウィさん。明るく丁寧な仕事ぶりは入所者に受け入れられている。
職場にうち解けているのは、きやま(坂出市川津町)で働く2人も同じだ。イマス・ヌルヤンティさんは、日本の童謡を覚えてお年寄りと親ぼくを図るきっかけに。ルシー・アメリヤさんは「分かりにくい」と話していた方言も理解し、使いこなせている。
技術レベルの高さ、のみ込みの早さは両施設の予想以上。懸念された言葉や文化の壁も感じさせない。「おかげで手本を示す側の意識も高まった」。岡本荘の児玉直久園長が言うように日本人スタッフの良い刺激にもなっている。
不安の種は、介護福祉士の国家試験対策だ。4人は施設での日本語学習に加え、帰宅後も自習に励む。業務の申し送り書も日本語で記入するなどしているが、それでも「試験は難しそう」とこぼす。
無理もない。日本語で行われる試験の合格率は日本人ですら50%。加えて4人の受験チャンスは2012年の1度きりで、不合格なら帰国しなければならない。
だが肝心の試験対策は現場に丸投げされている。ノウハウがない中、手探りの対応が続くだけに、きやまの坂井恭一施設長は「専門の講師を定期的に派遣してもらい、指導状況をチェックしてくれるような仕組みを」と訴える。
こうした声は全国の受け入れ施設から続出。厚生労働省もようやく腰を上げ、10年度予算案に日本語講師派遣の補助などを盛り込んだ。ただ、要望の多い、試験の難解な漢字に振り仮名を打つことや、受験機会を増やすことには慎重な姿勢を崩していない。
1月中旬、岡本荘では2人、きやまは8人のインドネシア人が新たに働き始めた。先輩になった4人は「最初に来たわたしたちが頑張って試験に受からなきゃ」と一層張り切る。真っすぐな姿勢をみていると、素直に応援したい気持ちがわいてくる。現場目線の支援の実施を期待したい。
【取材】福田有紀、金藤彰彦、福原健二
掲載401〜498回までの目次はこちら → その1 その2 その3 その4
(2010年2月21日四国新聞掲載)
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