シリーズ追跡

揺らぐ精神障害者の開放処遇〜殺人事件の波紋〜

HOMEへ メニューへ HOME > 連載 > シリーズ追跡 > 記事詳細
| 2011 | 2010 | 2009 | 2008 | 2007 | 2006 | 2005 | 2004 | 2003 | 2002 | 2001 | 2000 | 1999 | 1998
味じわり浸透

 隔離から地域へ―。退院可能な精神障害者を地域に戻し、社会復帰を目指そうと、患者をはじめ医療、福祉、地域が努力している中で事件は起きた。高知市朝倉の会社役員矢野真木人さん(28)が香川町川東下の駐車場で精神科病院に入院中の男に刺殺された事件。「周囲に私たちはどんな目で見られているのか」。懸命に自立を目指していたある障害者は大きなショックを受けたという。幼い命が狙われる凶悪事件が全国で相次ぐ中、「もし、下校時間だったら」と保護者の間にも衝撃が走り、緊張感が渦巻いた。事件の予見は不可能だったのか。防ぐ手だてはなかったのか。精神障害者を取り巻く県内の現状と関係者の声を拾うとともに、矢野さんの両親に胸の内を聞いた。

厳しい現実=人権と安全・安心の間で

 矢野さんを殺害したとして逮捕された男が、精神科病院に入院したのは昨年十月。自ら希望した「任意入院」だった。
 男は当初、興奮しやすい状態で、かぎの掛かる「閉鎖病棟」にいたが、約一カ月で「開放病棟」に移り、退院に向けた訓練を開始。金銭管理トレーニングなどを経て、日中の二時間、一人での外出が認められるようになった。
 男が突然の凶行に及んだ理由は明らかになっていない。送検後の取り調べでも供述は安定せず、近く精神鑑定を受ける見込みだ。男の主治医でもある院長は、「入院中、暴力的な行動は一切なかった。命令的な妄想も認められず、犯行はまったく予見できなかった」と話している。

高い自由度
 「入院中、あなたの処遇は開放的に行うよう努めます」「不明な点、納得のいかない点がありましたら、遠慮なく申し出てください」
 精神科病院に患者本人の意思で入院する「任意入院」の場合、こうした趣旨の告知が文書とともに行われ、患者は原則として、病棟や病院を自由に出入りできる「開放処遇」を受ける。
 開放処遇そのものに明確な基準はない。現実は医師が病状などに応じて患者の自由度を個別に判断している。外出も許可制だ。しかし、あくまで患者の同意の下、人権を確保しながら最適な治療を行うのが大前提。「閉鎖処遇」は自傷他害の恐れがあるケースなどに限られる。処遇に不満があれば、いつでも退院できる点は一般の病院に入院する場合と変わらない。当然、退院の近い患者の自由度は高い。逮捕された男は来年一月にも退院予定だった。
 県障害福祉課によると県内の精神障害者約二万人のうち、二〇〇四年六月現在の入院患者は約三千七百人で、その八割強に当たる約三千百七十人が任意入院だという。任意入院には認知症の高齢者らも含まれ、必ずしも全員が自由な外出を希望するわけでなく、実際に許可を得て外出しているのは「三分の一から半数ほど」(同課)。およそ千人強が、買い物や散歩など社会復帰に向けた訓練を積んでいる。

精神科医療をめぐる時代の流れは開放処遇だが…(資料)
精神科医療をめぐる時代の流れは開放処遇だが…
(資料)

脱施設化へ
 「人権の擁護」「社会復帰の促進」をうたい文句に、日本の精神医療政策は今、病院での入院治療から抜け出そうとしている。一九九〇年代以降の傾向として、右肩上がりで増え続けていた全国の精神病床数が微減に転じた一方、任意入院の患者数は増加している。
 政策転換のきっかけの一つが、八四年に宇都宮市で起きた「宇都宮病院事件」だ。看護助手らの暴行で患者二人が死亡したことが発覚し、隔離された閉鎖病棟の在り方が問題化。これを契機に八七年、通信・面会の制限などがあった従来の精神衛生法に代わり、任意入院制度などを盛り込んだ精神保健法が成立した。
 同法は九五年に精神保健福祉法に改正。精神障害者が障害者基本法(九三年)の対象として明確に位置付けられ、社会復帰施設やグループホームの充実など「地域での自立した生活」に向けた福祉施策が求められるようになった。
 国がこうした政策転換を急ぐ背景には、日本の精神医療が世界の流れから取り残されている状況もある。六〇年代から、「脱施設」を掲げて病床数を減らしてきた欧米各国と比べ、日本の人口当たりの病床数は依然数倍多く、入院の長期化や患者への人権侵害など、看護コストの低い閉鎖処遇が招く問題は解消されていない。

遅れる対策
 「国の方針通り積極的に開放処遇を進めれば、必然的に『事故』は多くなる」。患者の人権尊重とトラブル防止の責務。事件を受けた医師たちの言葉からは一様にジレンマがうかがえる。
 同様の事件を防ぐ手たては何か。望ましいのは手厚いケア体制だが「はっきり言って遅れている」。県立丸亀病院の近藤健治院長が強調するのは精神医療の水準の低さ。代表例が入院患者数に対する医師や看護師らの配置基準が一般病院より少なくて済む精神科特例。特例は二〇〇一年三月に一応廃止されたが、五年間の経過措置がある上、「一般病院の三分の一」という医師数の最低基準は据え置かれた。
 また、〇三年の国民医療費に占める精神医療費の割合は5・8%。全入院患者数の四分の一が精神科であることを考えるといかにも少ない。「予算的にはまったく理念に追いついていない」。近藤院長は現状をこう指摘する。

さまざまな思い=向き合う上質医療を 地域の信頼関係も大切

 「相当ショックを受けた精神疾患の患者さんもいた。中には避難のため入院したいと打ち明ける通院患者も」
 ある精神科医は、今回の事件が患者に与えた衝撃の大きさを語る。また「(患者の)お母さんがうちの息子は大丈夫か。入院させるべきか」と相談に来たとも。
 福祉関係者の一人は、「どうにも、ふに落ちない」と首をかしげる。詳細は分からないけれど、と前置きしながらも、患者はきっとサインを出していたはず。それを見落としたのが悔やまれるというのだ。
 「患者は、自分の状態が良くないから入院を希望して治療を託した。何人ものスタッフがかかわっていて見落としたのであれば、病院の責任は重いと思う」とも話す。
 前県精神保健福祉センター所長で精神科医の花岡正憲さんは、「もし病状悪化が原因による行為(刺殺)であるなら、病院は遺族に対してでなく、患者に対して謝罪すべき」と話し、病院側の患者に対する視点の欠如を疑問視する。

はらむリスク
 一方、病院側の立場は違う。日本精神科病院協会県支部長で三船病院(丸亀市)の三船和史院長は、国の施策に基づいて退院促進や開放処遇に病院側も懸命に取り組んでいた矢先の出来事と指摘した上で、「開放は常にリスクをはらんでいる」と説明する。
 「どこの病院でもあり得る。万が一はあってはならないが、絶対ないとは言い切れない。患者の病状を十二分に把握していても、パーフェクトは無理な一面もある」と医療現場の事情を話す。

悩む教育現場
 今回の事件は通学路で起きた。通学路で幼い命が狙われる痛ましい事件が相次ぐ中で、父母や学校関係者らに与えたショックも大きい。
 「車いすの人が困っていたら皆で助けようと教えるのが教育。一方で、精神障害者を危険視するよう教えるわけにもいかない」。事件現場となった香川町の教育関係者は悩みを打ち明ける。
 幼い子供の視点に立てば危険要素が少ないのに越したことはない。精神障害者の外出には「厳しすぎるくらい厳しいチェックをしてほしいという保護者の声が多いのも自然な感情」とも話す。

30年入院も
 精神障害者の地域・社会復帰は簡単ではない。二十―三十年の入院経験者も多く、実家へ帰ろうにも既に親は亡くなっていたり、帰宅を拒絶されるケースもある。そうした患者を受け入れるのがグループホームや共同作業所などだ。
 県内でグループホームを運営するNPO法人理事の乙黒明世さんによると、グループホームに入った患者は通院しながら、作業所に通ったり自立の準備をするという。個室で生活し、時には皆で話し合ったり食事会をして随分明るくなる。さらには自分のことが自分でできる自信や目的を持ってくる。退院や開放処遇の効果という。
 「事故が起きれば地域に心配を与え、開放処遇は後退する。しかし、患者を思えば開放の流れを止めてはならない」(三船院長)。乙黒理事も精神障害者に対する地域の目が悪化するのを危惧(きぐ)する。
 ある共同作業所代表は「これまで通り、活動を隠すことなく、ありのままを地域の人たちに見てもらい、信頼関係を築くしかない」ときっぱり。
 どの意見もそれぞれの立場からすれば間違ってはいない。ただ、「患者一人ひとりに向き合った上質の医療が提供できていたか」(医療関係者)については疑問も残る。「しっかり向き合っていれば、患者からの何らかのサインに気付くことができたのではないか」(福祉関係者)の指摘も重い。精神科病院の治療の在り方とともに、再発防止のための原因究明が求められている。

被害者両親の訴え=息子の死、無駄にすまい 放置、社会不安招く

 香川町で刺殺された矢野真木人さんの父親で会社社長の啓司さん、母親の千恵さんが四国新聞の取材に対し、現在の心境や精神科病院で行われている開放処遇の問題点について語った。

「息子の死の意味を世間に訴えていきたい」と語る矢野啓司さん(左)、千恵さん=高知市の自宅で
「息子の死の意味を世間に訴えていきたい」と語る矢野啓司さん(左)、千恵さん=高知市の自宅で

 ―現在の心境は。
 悔しくて残念のひと言だが、どんなに悔やんでももう息子は戻ってこない。息子には何の落ち度もなく、精神病と自称する男の理不尽な刃で絶命した。将来の夢に向かって歩き出した矢先の出来事。今後、彼の死が無駄ではなかったことをあらゆる機会を通じて、世に問うていきたい。

 ―具体的には。
 精神科病院に入院している男が、社会再適応訓練の途中、息子に刃物を向けた。背景には、精神障害者の社会復帰制度の導入や、国の財政事情逼迫(ひっぱく)による患者の早期退院促進が関係していると思っている。病院の管理体制の在り方や、罪を犯した精神障害者に対する日本の制度の在り方、運用実態をつまびらかにし、社会に一石を投じたい。

 ―国の方針もあり、精神科病院では患者の早期退院を目指した「開放処遇」が一般的だ。
 精神障害者の社会復帰には正義があり、地域で復帰を支えようという趣旨には大いに賛成だが、そのためにいたずらに精神障害者を放置することで、仕事をし、税金を納め、社会貢献をしている普通の市民の安全と生命が脅かされるようでは、社会不安の原因となり、市民生活が荒廃してしまうと危惧(きぐ)している。少数の精神障害者のために、市民の生命が脅かされるのであれば、そちらの方がもっと大きな問題だ。
 ヨーロッパの病院を見ると閑疎な田舎にある場合が多く、日本のような町中にはない。自然の中で地域のよき理解者に支えられながら社会復帰を目指しているように感じるが、日本はそういう環境になっていない。国際基準に合わせるのもいいが、日本に合った制度を考えるべきだろう。

 ―病院の管理責任についてはどうか。
 人間の生命、健康を守るべき医療機関の判断ミスで、息子は殺された。医者は、市民の中に溶け込んでも法的責任能力があるとして、外出を許可したはず。これまで四十回以上外出して、何もなかったという問題ではすまされない。外出や帰って来た際に時間を記入させるだけではなかったのか。どんな声掛けや健康状態の管理が行われていたのかも疑問。もし、何もできていなかったとすれば怠慢ではないか。
 病院側は誰がいつ、外出しているか把握していても、地域住民には何も知らされていない。

 ―今後、国や医療機関はどうすべきか。
 精神障害者の開放処遇には、(医師の心象だけでなく)明確な基準が必要だろう。そうでなければ、余計な社会不安を助長するだけ。多少の不安や危険は「精神障害者が社会復帰するために、社会が負担するコストとして考えていきましょう」では困る。それで何人かが犠牲になってもいいという世の中は、本末転倒だ。

 ―今の社会に対して。
 水と安全はタダだと日本では言われてきたが、そんな現実が揺らいでいる。各地で幼児や小学生の殺害事件が多発しているが、その犯人の多くは精神障害者として疑われている現状だ。罪を犯した人がどういう人物であれ、(人の死という)客観的な事実はなくならない。責任が問える状態になれば、ちゃんと責任をとるべき。
 息子は争い事を好まない人間だった。いい社会をつくっていく、考えていくことで、息子の死が無駄ではなかったことを証明したい。

 広瀬大、山下和彦、岩部芳樹が担当しました。

(2005年12月18日四国新聞掲載)

ご意見・ご感想はこちらへ

前へ戻る 画面上部へ  
Copyright (C) 1998-2011 THE SHIKOKU SHIMBUN. All Rights Reserved.
サイト内に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています