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庵治町の国立療養所大島青松園で暮らすハンセン病元患者の詩人、塔和子さん(74)の詩の世界が共感の輪を広げている。詩作の集大成となる「塔和子全詩集」(全三巻、編集工房ノア)の刊行がスタートし、一日に第一巻が出版された。塔さんの半生を描いたドキュメンタリー映画「風の舞―闇を拓(ひら)く光の詩(うた)」も昨年の完成以来、全国各地で上映されている。映画で詩の朗読を担当した女優の吉永小百合さんは昨夏、塔さんに直筆の手紙を送った。「塔さんの詩は私の心の中に深く残りました。ご本と一緒にこの想(おも)いを大切に致します」。全詩集編さんのいきさつ、映画の近況とともに、塔さん自身にお気に入りの詩六編を選んでもらったアンソロジーを紹介する。

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| 出来上がったばかりの「塔和子全詩集」第1巻を手にする塔さん=1月18日、庵治町の大島青松園 |
瀬戸内海を吹き抜ける風は身を切るように冷たいが、空は青く澄み渡っていた。
「塔さん、きょうはお祝いの日です」。塔和子さんの詩集発刊を陰で支えてきた兵庫県西宮市の牧師川崎正明さん(66)は、万感の思いを込め呼び掛けた。
一月十八日。川崎さんのほか、編集工房ノア代表の涸沢純平さん(57)ら関係者が「塔和子全詩集」の初刷りを持って大島青松園を訪れた。
とびきりの笑顔で出迎える塔さん。「いよいよ全詩集の第一巻ができました」。涸沢さんが報告すると、祝福の拍手が包んだ。「おめでとう」。塔さんも一緒に手をたたいた。
川崎さんが「内容ももちろん重いが、本も重いですよ」と八百三十二ページの全詩集を渡す。ずっしりとした手の感触。「ほんと重いねえ。ちょっと読むいうわけにいかんねえ」。塔さんのはにかんだ言葉に、ほっと空気が和んだ。
大半は絶版
「塔さんの詩には生きる希望を感じさせる説得力がある。生きざまにこちらが励まされ、元気づけられる」。川崎さんは十七年前に出会ってからその詩の魅力に引き込まれ、事あるごとに語り広めてきた。
これまでに塔さんは約千編の詩を詠み、十九冊の詩集にして発表している。しかし、大半は絶版となっていて現在では入手が難しい。
全詩集の発刊は「塔さんの詩をより多くの人に読んでもらいたい」と願う川崎さんら関係者と、「生涯の仕事を切りよくまとめたい」とする塔さん自身の思いが一致し、ごく自然に実現へと踏み出した。
昨年の第十九詩集の出版を区切りに、すべての詩集を出版順に三巻にまとめることが決まった。刊行のペースは「間隔を空けないと、一冊ごとの評価が受けられない」との塔さんの意向に沿い、年一巻とした。
編集作業には涸沢さんと川崎さんが携わり、第一巻には第六詩集までの三百二編を収めた。
「私の人生に塔さんの詩が啓示として入り込み、生かしてもらった。感無量です」。塔さんとの文通をきっかけに第一詩集の発行人となった宮崎市在住の河本睦子さん(60)も、川崎さんらと一緒に青松園を訪ねた。塔さんに寄り添い、全詩集の後記を朗読するうちに感極まって涙が止まらなくなった。
感想の手紙 「言葉の技法がうまい詩人は大勢いる。でも、塔さんほど自らの内面の深いところまで思索し、くみ上げている詩人はなかなかいない。哲学や精神性の高さという点で特別な存在ですよ」
編集者として多くの詩集を手掛けてきた涸沢さんは、塔さんの詩の世界を絶賛する。
作品には、少女時代にハンセン病を患い、苦渋に満ちた隔離生活を送ってきた半生が色濃く投影されている。涸沢さんは言う。「病気を背負わなければ、これほどの詩は生まれなかった。『苦悩』と題する詩に跳躍台という言葉が出てくるが、塔さんはハンセン病を跳躍台として書き続けたのでしょう」。
病を恨むのではなく、真っすぐに向き合い、乗り越えていく。いのちをいとおしみ、生きることの根源を求めて思惟(しい)を重ねた心の軌跡を詩に託し、表現してきた。
「一編一編の詩がキラキラと輝いています。塔さんのいのちの輝きなのだと思います」(北海道の女性)。塔さんの元や出版社には、詩を読んだ感想の手紙がひっきりなしに届く。
第一巻の初版は八百部で、編集工房ノアによると売れ行きは順調だという。「高価な本に次々と注文がくるのは意外なほど。日ごろ詩に縁のない一般の人たちが多く買ってくれているようです」。

塔和子さんの詩と半生を通じて生の尊厳を問い掛けるドキュメンタリー映画「風の舞」(宮崎信恵監督)の上映会が、香川を皮切りに全国で相次ぎ、大きな反響を呼んでいる。
共同映画(東京)などの配給会社によると、上映会や試写会が開催されたり、予定されているのは四十二都道府県に上る。未上映の県でも計画が進行中のところがあり、「できるだけ早く空白地をなくしたい」(共同映画)。
「風の舞」は、ハンセン病患者を強制隔離する国の誤った政策のため、家族や社会から切り離された塔さんの悲しみや苦悩、生きる意味や希望などを描いている。
各地での上映は、自治体が人権啓発のための行事や研修に盛り込んでいる事例が多い。ほかにも小中学校、高校では人権学習の一環として鑑賞しており、福祉関係の市民団体などによる企画も目立つ。
共同映画の藤野戸護代表取締役は「市民が人権を考えるのに優れた素材だ。映画作品として評価も高く、幅広く受け入れられている」と話す。
詩を朗読した女優の吉永小百合さんが“宣伝部長”を自任、映画祭などの出席がマスコミで紹介されたことも、普及の推進力になった。
「完成が年度途中だったため、三月末までは宣伝期間。新年度は本格的に事業計画に採用してもらえるよう自治体に働き掛けたい」と藤野戸代表取締役は意気込む。
県内では、配給会社の香川映画センター(高松市)によると、約二十五カ所で上映された。
七日には国分寺町で、町主催の「人権を考える住民のつどい」で上映があり、予定を上回る約二百人が鑑賞した。五十三歳の女性は「過酷な経験から生み出された詩が心に飛び込んできた。でもすべてを受け止められるかは、とても…」。
県内の上映会場のうち約半数は小中学校、高校だ。
ハンセン病を通じ偏見や差別について学ぶ多肥小の六年生は、昨秋に上映会を実施。児童からは「私たちが変えなければならないこと。それは心です」などの感想が寄せられた。
「風の舞」の試写会が最初に開かれたのは、〇三年四月、大島青松園の大島会館だった。塔さんも車いすで出席したが、白内障の手術前だったため、「目を開けたり閉じたりしていて、十分に見られなかった」。
全国で上映が広がっていると聞いて、塔さんは照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「見てみたいような、恥ずかしいような、複雑な気持ちです」
塔和子(とう・かずこ)
一九二九年、愛媛県生まれ。ハンセン病を患い、四三年に国立療養所大島青松園に入所。治癒後も後遺症のため同園にとどまる。二十歳代後半から詩作に取り組み、六一年の「はだか木」を皮切りに十九冊の詩集を出版。九九年に第十五詩集「記憶の川で」が高見順賞を受賞した。塔和子はペンネーム。
「塔和子全詩集」第一巻は八千四百円。宮脇書店本店などで取り扱っている。問い合わせは編集工房ノア<06(6373)3641>。
脱皮
裸木のように
すかっと
無垢な姿を大地の上に投げ出して見たい
蜘蛛の巣に落ちた虫の
荒々しい抵抗が
粘質の巣の糸にますます深くめり込んでゆく
あの暗いあがきを
ふてぶてと眺めている運命の
毒蜘蛛の巣の
無気味な柔軟性を蹴飛ばしたい
その清冽な跳躍の姿勢を
裸木のように大地の上に
放り出したい 「はだか木より」

領土
生と同時に
死を産みおとしたことに気付かないで
からになった母体は
満足げに離別を見る
けれども死は
生よりも早く手を受けて
いつか支払わねばならない
死の手形である生命を受け取るのだ
母
ほのぬくいふるさと
混沌の中で
私という実体を
林立する生の向こうの死の中へわけ入らせたもの
生きてあることの
ほのぬくい息とやわらかい肉体と
握り合う手にあつい感動を見ても
物体のかたさを見抜けないでいた
あの優しいもの
でも差し出された手は
肉と骨と少量の血と
切りおとしたら
ゴムの手と同じ重さでぽろりと落ちる物体
死の参与からはずされている生命はどこにもない
秋のするどい陽の中で
私を受け取った死の手と
踏みごたえのある大地と
荘厳に蘇るあの一瞬
産褥で交わされた
生と死の調印が
鮮やかに占める
領土は私 「第一日の孤独」より
花
あなたのまなざしを
太陽のぬくみのように受けとめて
あなたの言葉を水のように吸い上げて
あなたの
胸の広さを
ああ
それは青空でした
私はそこで
くっきりと
こころよい目覚めのように
あざやかにくまどられた
ピンクの花でした
あなたは
私が花であることのできる
たったひとつの広い場所
私は
今日
あなたの空の中で
意地や張りをやさしくほぐして
誰にも見せない
花の部分を
そおっとひらいて立っていました
「愛の詩集」より
鯛
それは
生き作りの鯛
ぴいんと
いせいよく尾鰭を上げて
祝いのテーブルの上で
悠然と在りながら
その身は
切られ
切られて
ぴくぴくと痛んでいる
人々は笑いさざめきながら
美しい手で
ひと切れ ひと切れ
それを口へはこんでいる
やがて
宴が終わるころ
すっかり身をそがれた鯛は
すべての痛みから
解放されて
ぎらりと光る目玉と
清々しい白い骨だけになり
人々の関心の外で
ほんとうに鯛であることの孤独を
生きはじめる 「未知なる知者よ」より
胸の泉に
かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない 「未知なる知者よ」より
師
私は砂漠にいたから
一滴の水の尊さがわかる
海の中を漂流していたから
つかんだ一片の木ぎれの重さがわかる
闇の中をさまよったから
かすかな灯の見えたときの喜びがわかる
苛酷な師は
私をわかるものにするために
一刻も手をゆるめず
極限に立ってひとつを学ぶと
息つくひまもなく
また
新たなこころみへ投げ込んだ
いまも師は
大きな目をむき
まだまだおまえにわからせることは
行きつくところのない道のように
あるのだと
愛弟子である私から手をはなさない
そして
不思議な嫌悪と
親密さを感じるその顔を
近々とよせてくるのだ 「未知なる知者よ」より
福岡茂樹、谷本昌憲が担当しました。
(2004年2月8日四国新聞掲載) |