| 大川東高校(引田町)の灯が消える。少子化に伴う長期的な生徒減少を受けた県立高校再編計画の一番手に選ばれ、一九八四年の開校からわずか二十三年でその歴史に幕を閉じることになった。大川東の開校に前後して、県内ではマンモス校の解消を掲げて高松地区で高松北など五校が相次いで開校。「学校バブル」とも呼ばれた。しかし、今や一学年三学級以上とされる「適正規模」を確保するのにも苦労する高校が続出するご時世。県教委は二〇一〇年度までに、さらに「少なくとも二校」の募集停止を行う方針だ。県立高のリストラが幕を開けようとしている。

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| 県立高校統廃合の一番手として2007年3月の廃校が決まった大川東高校=引田町引田 |
県教委は十月の定例会議で、大川東高(白井千春校長、二百九十九人)の二〇〇五年度からの募集停止を決定。同校は〇四年度入学生が卒業する〇七年三月で廃校となる。「継続的に望ましい学習環境・活力ある学校生活を維持するには一定規模が必要」。委員会後の会見で、惣脇宏教育長は決断の理由をこう説明した。
適正規模は
少子化による長期的な生徒減少期に入ったことを受け、県教委は二〇〇一年度からの十年間で三校を募集停止する方針を打ち出している。教育長の諮問機関「県立高校の学校・学科の存り方検討会議」が二〇〇〇年夏にまとめた答申「学級数が継続して一学年三学級以下になると見込まれる場合は統廃合の検討を求める」に沿ったものだ。
三学級以下、つまり小規模校化を避けたい理由として、県教委は▽理科や社会や芸術教科で開設できる科目が少なくなる▽大人数が必要な部活動は置けない▽生徒同士が切磋琢磨(せっさたくま)する機会が少なくなる―などを挙げる。
教員は生徒数に応じて割り振られるため、小規模校では理科や社会、芸術で開設できない科目が出てくる。生徒の学習ニーズに幅広くこたえることができなくなる。
大学受験では、〇四年一月実施のセンター試験から国立受験者には五教科七科目が課せられる見込みで、理科と社会は二科目ずつ必要になる。となると、高校での履修科目が限定される小規模校の不利は否めない。
少子化加速
県教委がまとめた地区別(小豆、大川、高松、中讃、三豊)の中学校卒業予定者数の推移をみると、大川(さぬき市、大川郡)の減少傾向が目立つ。再編計画の前期五カ年(〇一―〇五年)の最終年である〇五年三月に着目すると、九九年を一〇〇とした指標で卒業予定者は「小豆79・1、大川73・0、高松79・2、中讃81・5、三豊83・1」(表参照)。

大川地区の〇五年三月の卒業予定者は八百五十人。本年度実績から推定される公立定員は78%程度で、六百六十三人。これを単純に地区内の五校で割ると、一校当たり百三十二・六人となり、五校すべてが小規模校になる事態が想定される。現在は、教員数に余裕のある近隣高校から兼務扱いで大川東に教員を派遣しているが、地区内すべての高校が小規模校になるとそれも難しい。
「一校を廃止し、その定員を他四校に割り振れば回避できる」と高校教育課。つまり、統廃合することで地区内の「共倒れ」を防ぐ皮算用だ。東条正幸課長は「近隣校がすべて小規模校となって存続するよりも、適正規模の維持で地域内の高校教育の充実・活性化を図る方が、長い目で見て生徒のためになるはず」と理解を求める。
そして、三学級の原則が最も早く崩れることが予想される大川東に白羽の矢が立った。
高松びいき
七〇年代後半以降、高松西、高松北、香川中央、高松桜井、三木が相次いで新設された。大川東以外の各校は、マンモス校の解消や人口増への対応を掲げ、すべて高松地区(高松市、木田郡、香川郡)での新設だ。
大川地区の進学者のうち、四割程度が高松地区の高校へ流れているというデータがある。地元の行政関係者は、生徒の高松志向を生んだ要因に高松地区での新設ラッシュがあると指摘する。
「長期的な生徒減少傾向に入ることは予想できた。なのに高松地区に五校も新設して生徒をかき集めておいて、郡部の先発校をつぶすのは疑問」。高松地区の生徒数増という社会的要因を考慮してもなお、「高松偏重・郡部切り捨て」への疑念がぬぐいきれないという。「県は冷たい」。ある町の幹部がつぶやいた。
答申の意味
県教委は二〇一〇年度までに、大川以外の地区で少なくとも二校を募集停止する方針を表明している。試算では大川東のほか、小豆島、石田、津田、農経、多度津水産、善通寺西、笠田、三豊工の九校が〇八年度までに三学級以下になる。
検討会議の答申では「専門学科の全県的な適正配置と通学の便などに十分な配慮」を求め、具体的に「農業科は少なくとも農経に加えて第一、第二学区ごとに配置」「工業科は大川、高松、中讃、三豊の地区ごとに配置」と提言している。
これに従うと、別格扱いの農経は当然、第二学区で農経を除いて唯一の農業科がある笠田、三豊で唯一工業科を持つ三豊工は廃校の対象から外れる。大川地区の津田と石田も外れる。となると小豆島、多度津水産、善通寺西が現実的な対象として浮上してくる。
多度津水産は県内唯一の水産科。廃校は考えにくいが、他校への統合ならば話は別。適正配置という「お墨付き」がある笠田、三豊工も統合の可能性は考えられる。
小豆島については、小豆地区の高校は土庄(土庄町)と小豆島(内海町)しかないため、内海町の生徒の交通の便を考えると簡単に統廃合とはいかない事情がある。
次期対象校の決定をめぐっては、まだまだ曲折が予想されそうだ。

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| 悲願の全国制覇を目標に一丸となって練習に励む大川東高校フェンシング部(左は市ケ谷監督)=引田町引田 |
創立二十周年を目前に飛び込んだ廃校決定の知らせに、大川東高校の生徒や教職員には戸惑いの色が浮かぶ。
今夏の全国高校総体で女子団体が十六強に入るなど、際立った活躍をしているフェンシング部。男子主将の長町育也君(二年)は「卒業して社会で生きていく中で母校がないのは嫌だと思う。せめて在学中は一日一日を大切に過ごしたい」。女子主将の渡辺未佳さん(同)も「つらいことだけど、実感がわかない」と表情を曇らせる。
悲報を乗り越え、今月九、十日の県高校新人大会では七年ぶりに団体男女アベック優勝。個人でも女子エペ以外の四種目を制し、監督の市ケ谷広輝教諭は「過去最高の成績」と手応えを話す。
二度の五輪出場経験を持つ市ケ谷教諭は在任九年目。地元出身の初心者ばかりの選手たちを手塩にかけて育て、全国トップレベルに導いてきた。
「僕自身、いつか全国制覇をと考えていたが、(廃校という)期限を決められた。今の生徒たちは、きっとマイナスをプラスに変えられる。何としても優勝して、大川東の名を残したい」
視線うつろ
廃校する県立高校についての県教委案として、大川東の名前が明らかになった九月二十六日。
白井千春校長は六校時を短縮して全校生を体育館に集め、呼び掛けた。「フェンシング部をはじめ、君たちは全国で認められる個性、能力を持っている。残念な発表があったが、充実した高校生活と目指す進路の実現のため、努力を怠らないでほしい」。
三年生の中には、うつろな視線を床に落とし、ショックをおし殺す姿が目立ったという。
大川東高は一九四八年に発足した大川高(現三本松高)引田分校が前身。八四年に全日制の普通科二学級、造園科一学級の三学級で開校した。
九八年度の募集から、造園科を環境デザイン科に衣替え。緑地環境の設計・施工や草花の栽培、フラワーデザインなどを教育する特色ある学科として、専門能力を身につけた人材を地域社会に送り出している。
卒業生は千七百六十八人。分校時代を含めると二千六百人を超える。
うわさ先行
県立高校の再編整備基本計画で「二〇〇五年度までに大川地区で一校を募集停止」との方針が示されたのは昨年三月。一学年三学級以下などの条件から、地元では「大川東ではないか」とのうわさがささやかれてきた。
直後に大川郡東部三町の町長、議長らが、存続を求める陳情書を知事、県教育長らに提出。大川郡PTA連絡協議会は今春までに一万三千人余りの署名を集め、再考を要求した。
署名活動をリードした同連絡協議会前会長の大山敏彦さん(43)は「大川東高は生徒のほとんどが大川地区在住者。地元の子の受け皿としてなくてはならない存在だ」と指摘。「遠方の高校に通うとなると、時間もかかるし、親にとっても交通費の負担は軽視できない」と訴える。
しかし、叫びは届かなかった。
引田町の安倍正典町長は「少子化は時代の流れで、やむを得ないことは理解できるが」と前置きした上で、地元の声が置き去りにされた決定のプロセスに不信感をあらわにする。
「県教委は県議会で表明する直前まで『まだ決まっていない』と繰り返すばかり。地元各界の意見を聞いてから決定するとの話だったはずだが、発表の二、三日前に『大川東に決まったから了承してくれ』と。あまりにも理不尽だ」
なぜ合併前
引田町にとって、独立した県立高校の設置は長年の悲願だった。
一九七〇年代には有志が仮称「引田高校」の実現を求め、熱心に運動を展開、実現にこぎつけた。敷地の一部には町有地を充て、町はこれまでに教育振興費として施設整備などに約四千万円をつぎ込んでいる。
役場に近い町中心部に位置する同校は、JR引田駅から徒歩五分。生徒の約三分の二が列車通学だ。「廃校になれば、引田駅もさびれる。三本松止まりの列車が増え、無人化される可能性だってある」(地元住民)。
しかも、同町は来年四月に白鳥、大内両町と合併して東かがわ市の発足を控えている。
「地元が交流人口を増やそうと努力しているのに、なぜ合併前の今なのか。募集停止するにしても、他の二地区と同様に二〇一〇年度まで延ばすことはできなかったのか」。安倍町長の憤まんは収まらない。
市立高校を
廃校の方針が動かないとすれば、跡地利用が次の焦点になる。
敷地面積は約三万五千八百平方メートル。分校時代のほぼ二倍に拡張し、順次新築した四階建て校舎や体育館は十分に「新設校」の面影をとどめる。廃屋にするにはあまりにも惜しい。
「隣のさぬき市は人口約五万七千人に対し、高校が四校ある。東かがわ市は約三万七千人に一校(三本松高)だけとなり、不公平」と指摘するのは、引田駅近くでスポーツ用品店を経営する正木勝弘さん(64)。「施設も整っているのだから、東かがわ市が市立高校を開設してはどうか」と呼び掛ける。
安倍町長も「学校として残すのが一番」との立場だ。「地域の人たちが望み、財政が許すのであれば市立高校もいいんじゃないかと思う。市になれば、早急に県と協議すべきだ」。
黒島一樹、谷本昌憲が担当しました。
(2002年11月17日四国新聞掲載) |