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「学校をめぐる問題が一向に減らないのはなぜか。教育界が責任を認めず、隠そうとし、子供と親に責任を転嫁し続けているからではないか」。本紙客員論説委員の小野修さんが、語気鋭く教育界に自省を促す論説が五月三十日、本紙「論点香川」欄に載った。タイトルは「責任転嫁する教師たち」。「それは違う」。反発したのは、現職教師やOBらから成る県教育会(松平頼武会長、一万三百人)。「部分的問題を拡大した論説だ」。怒りのファクスが本社に届いた。子供たちの心の荒廃をどこが引き受け、どう解決するかは、極めて今日的テーマだ。これは“紙上対決”をお願いするほかない。で、この対論となった。
【出席者】 (敬称略)
東原 岩男さん(県教育会副会長、元県教育委員長)
細川 克己さん(県教育会常務理事、元小学校長)
◆ 小野 修さん(本紙客員論説委員、徳島文理大大学院教授)
◆ 司会・山下 淳二(四国新聞編集委員室長) |
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| 細川 克己さん 香川師範学校本科卒。高松市教育研究所長、小学校長を経て高松市教育会会長。県教育会常務理事も務める。73歳
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―県教育会は、小野さんの論説のどこに問題を感じたのか。
東原 教育現場で一生懸命やっている教師からすると、非常に冷たい、厳し過ぎる。現場の苦労を温かく見てほしい。人格を傷つけ、自尊心を損なう言葉は言ってはならないが、「責任転嫁する人格未熟な教師が教育に携わっているから、問題がなくならない」などと言う。これは教師の尊厳、自尊心を傷つける表現だ。心理学者であり、教育相談の権威がなぜ。
小野 私は、学校や世間から問題とされる子供や保護者の代弁者だ。生きるか死ぬかの相談に来た親や子の声を社会に向かって代弁する義務を持つ。学校や先生に不信感を持ったり、傷つけられたり、批判をいっぱい持った人たちの。それが私の立場だ。
細川 特別な問題を持っている子や親のことを全体の問題として訴えていることになるが。
小野 不登校の子供は何も特別ではない。どの子にも明日起こって不思議ではない。私が多く接するのはそんな子や親たちだ。
―特殊な問題をなぜ普遍化するのかというのが細川さんの意見だが、一部の問題が構造的な問題を象徴しているケースもある。小野さんは「特殊に閉じ込めるな」と言いたいのでは。
小野 全体は個を表し、個は全体を表す。一万人に一人でも困った子供が出れば、学校も教育界もそこから多くのことを学び、日々の教育実践を変えてほしい。そういう願いを強く持っている。
東原 それは共感する。特殊の問題を解決する事が、一般の問題を起こさないことにもなるし、問題解決につながる。ただ、子供たちが問題を持つ背景、原因が、教師が問題を隠して責任転嫁することが主なのかが、問題だ。
小野 原因は一つではない。先生と学校だけの責任でもない。ただ、教師たちに自分の足元をもっと見てほしい。親子、家庭の問題は、十分議論されてきた。が、教師の在り方がそ上に上ることが少な過ぎる。外から言われる前に、足元を振り返ってほしいとの願いで書いた。
東原 理解できる。ただ、どんな子も不登校に陥りやすいのなら、親たちはどんなことに気をつけなければいけないか。小野さんは、具体例を持っているはず。それを出すことが、不登校を直したり、減らしたりにつながる。が、一つも触れられていない。その点が一言あれば、受け止め方も違う。
細川 教育界に悪意、おん念を持っているような感じさえする。同僚に聞いても同じだ。
小野 ご指摘の内容は、これまでに「論点香川」で書いてきた。積み重ねだから、既に書いたことは省略している。ただ、受け取り方は十人十色だ。私も周辺の人に聞いてみた。教育界のOBは「これを機に、みなで真剣に考えたら香川の教育改革が始まる。この文章で教育界の問題が明確になった」との意見。現役の小学校教諭は「私たちが常々思っていることをうまく表現してくれた」と言った。「どこがおかしいのか。批判を受けたら改善を考えるのが当たり前」と言う人もいた。細川さんのような受け止め方がすべてではない。
細川 それは当然だ。
―私たちも組織や個人を中傷したり、悪意で踏みつける原稿は、書かないし載せない。文責は小野さんにあるが、むしろ教育への愛情を感じながら掲載した。
小野 そう言う小学校の先生もいた。「本当に自分を改善し、教育を改善したいという先生と語りたい」と書いた部分などに。
細川 それでも、特殊な世界から見た問題を全体に呼び掛ける資格があるのか、疑問はぬぐえない。
―不登校の問題は特殊な問題ではない。全国でも万単位のそういった問題を抱えた子供たちがいる。悪意かどうかも、先生への期待が強いほど、言葉もきつくなる。受け止める側によって、愛があると感じる場合もあるし、そうでない場合もある。
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| 小野 修さん 京都大教育学部卒。高校教諭、児童相談所長などを経て徳島文理大大学院教授。専門は臨床心理学。臨床心理士。65歳 |
細川 教師が子供を中心に親と信頼関係を結ばなければ、質の高い教育はできない。「論点香川」は、それに水をかける内容だ。
小野 記事が出たから不信が生まれるのではなく、不信があるから私の所にくる親子が絶えない。既に教師と生徒間の信頼関係は崩れている。
細川 認識の違いだ。大部分の学校で、大方の教師と親子は信頼関係を結んでいる。違うと認識しているなら、どう立て直せばいいのかを提案すべきだ。
小野 教師と学校は、親の批判を家庭の責任転嫁だとして受け止めない。
細川 そうではない。父母の批判に謙虚に耳を傾けることが、学校運営のエネルギーになる。
小野 思考パターンは違う。たとえ未熟な親が責任転嫁しても、一段大きな立場から真しに受け止め、対応してほしい。それを拒絶する姿勢を私は責任転嫁と言っている。
―細川さんは、学校や教師は責任転嫁しない集団だと考えているのか。
細川 そうだ。学校は、生徒や親の意見に耳を傾け、包摂している。
―でも「子供たちの前で学校や教師の批判をしないで」と教師は言う。それでは信頼は築けない。
東原 確かに封じても、中にこもるだけ。持っているものを出し、話し合って解決した方がいい。ただ、親は学校批判を子供にする。当事者の先生や校長にしないで。
―学校は率先して問題を抱え込み、一生懸命やっていると言うが、それが結果的に問題がないかのように装うことにならないか。
細川 私は親からのクレームは即、解決してきた。それが信頼を生んだ。
小野 「自分はちゃんとやって来た。批判されるのは一部の教師」というのはおかしい。
細川 全体が私のような考えで取り組んでいる。小野さんは、一部しか見ていない。そんな親が全体でどれだけいるか疑問だ。
―不登校の子供たちはあふれ、教育現場では妙な問題が次々に起きている。そのことに教師がどこまで責任を持つのか。自分たちで改善する能力があるのか。それが問われている。
東原 学校の責任を自覚し、自分で解決しようと努力しなければいけない。が、実際には無理。学校だけで背負い切れない。社会の学校・教師観も変わり、社会も変化して大人は無責任状態。一言でいうなら、赤信号の教師たち、子供たち、大人たちだ。学校だけ頑張れと言っても解決は難しい。
小野 学校の責任を重く受け止めてほしい。義務教育中は罰則まで設けて学校にいくことを強要しているのだから。学校の手に合わないなら、状況や実態、理由を社会にオープンにし、皆で考えるべきだ。
東原 今の子供たちは基礎体力が落ち、自然体験、社会性も乏しい。規範意識が低く自己中心というデータもある。学校だけで責任を持つというのは、むしろ無責任。
小野 「だから困難」と言うのでなく、改善のために学校は何ができるか、それを考えないとやはり責任転嫁だ。スポーツ少年団や競技会で、親と接触する時間も自由な時間もほとんどない。そういうものに親子を駆り立てている責任が学校にある。
―「学校だけでは無理」というのと、「学校は改善のためにこの部分は責任を持つ」というのでは、随分違うが。
東原 教師の力量を高めるだけで対処できない場合もある。
小野 「今の子はこんなに難しい」を強調し過ぎると、逃げを感じる。自分たちが何かすることを前提にした親への提案がなければ、責任転嫁の感はぬぐえない。
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| 東原 岩男さん 香川師範学校本科卒。小学校長、県小学校長会長を経て県教育会副会長。この間、県教育委員長を務める。76歳 |
―子供とうまくかかわれない教師の存在が学級崩壊の多発を招いていると指摘する声が強い。
東原 学級崩壊させたり、不登校児をつくったりする先生がいるのは事実。それは、どの社会にもある。そういうものも包み込んで共に歩んでいくのが学校だ。
細川 校長だった時、酒好きで遅刻ばかりの教師がいた。「教員を続ける気があるのか」と聞くと「ある」という。教頭の車で一緒に帰る、飲むのはこうせよといった具合に指導して、実際に酒も控えるようになった。問題を持つ教師でもそういう形で対処できる。
小野 それは、教師は本来こうあるべき、困った教師の指導はこうあるべきという話。「べき」は分かるが、問題は本当にそれができているかどうか。私は、それがなされていないために被害を受けた子供や保護者から見ればこうだと申し上げた。きょうもこんな話を聞いた。担任の先生があまりにひどいので保護者がたまりかねて抗議に行ったが、担任は会おうともしない。仕方なく校長を訪ねた。後で、担任がその子供に「おまえの親は校長に文句を言った」と毒づいた。
東原 小野さんは論説の中で「ささやかな出世への欲」「ちっぽけなメンツ」と書き、多くの教師が出世を頭に置いて生きているような印象を与えている。
小野 校長か教頭の前でしか自分の学級の不登校の子供に電話しない教師が現実にいる。
東原 香川の教師は頑張っている。データを見てください。不登校やいじめは全国平均よりいい状況。勤務時間も自主的に延長しているし、教材研究などは自宅に持ち帰って取り組んでいる先生が多い。
小野 何を忙しくしているかが問題。自分のクラスの不登校児が同じ学校内の適応教室に来ているのに、知らん顔の先生がいる。職員室では盛んにワープロをたたいて仕事熱心に見える先生がですよ。教師本来の仕事は何かを見定め、子供を優先順位の上に持ってこないといけない。部活動なんかもうやめて、社会教育の場に任せたらどうか。
―民間企業だったら辞めてもらうような人でも学校はずっと抱え込むシステムにも問題がある。
東原 地方公務員法の規定で、本人の意に反して免職、休職させるにはさまざまな制約がある。向上心のない教師は早く辞めてもらわないといけないが、なかなか辞めない。
小野 学級管理ができない先生でも他で生かす場所があるはず。図書館の先生になってうまくいった例もある。県教委はもっと適材適所の配置をしてほしい。そもそも、なぜ困る先生が紛れ込むのか。ある小学校では今、担任を持たせられない先生が二人もいる。欠勤を繰り返す教師も多い。やはり採用の問題。学級担任もできない先生の採用試験の評価がどうだったか、厳密な検証が必要だ。
東原 一番大事な現場研修である教育実習が簡単すぎる。採用試験では点数には表れない人間性をみるテストも加えているが、人間関係づくりとか、子供の掌握力をつかむのは難しい。
―教師同士のコミュニケーションが欠けてしまっていないか。互いに助け合う姿勢はあるのか。
東原 もちろん、助け合えるような学校内の組織づくりをしている。ただ、昔は宿直室で先輩と後輩が教育論を戦わしたり、気の付いたことを指摘し合う雰囲気があった。そうした関係が薄れたのは否めない。
小野 管理職から見て優秀な教師が小学五、六年生を続けて持つが、不登校児を出しやすいのは実はこうした先生。大事な学年を持っている意識があり、中学校から「あの小学校から来た子は…」と言われないよう張り切る。いきおい、子供たちへの要求は厳しい。
東原 教師には完全主義の傾向がある。この子の駄目な所を早く直してやろうとして、それが行き過ぎる。いい先生とは、子供に学び、子供とともに伸びていくような教師。先生の方が「こんな子供になってほしい」と理想を描き、その理想に近付けようとすれば、どこかにゆがみがいく。そういう自覚がなくなっているかもしれない。
細川 教育は「狂育」や「脅育」ではいけない。「共育」でなければ。
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| 子供たちの心の荒廃を防ぐ一義的責務はどこにあるのか。議論は白熱した=四国新聞社 |
東原 「論点香川」の指摘の一つに「学校は情報を隠すやないか」というのがあった。情報公開と学校開放の問題だ。
―学校や教育委員会は非常に閉鎖的。問題が起きた時、「書かないで」というのは学校が一番多い。責任転嫁と閉鎖性は近いところにあるのではないか。
東原 最初にマスコミに言いたい。なぜ、校外で起きた事件でも校長名を出さなければならないのか。
―学校そのものが何らかの形で密接に関与していない限り、学校名などは出していない。学校がナーバスになっているだけでは。
細川 隠すと言われているけれど、私は新聞記者が来ても、いいも悪いもパッと見せてきた。悪いことだけを隠し通せないから。
東原 学校には子供、その親、校区の人がかかわっている。問題が発生した場合、学校の背後にいるさまざまな人たちの意向が反映されてしまうことがある。
―パンの中に針が混入する事件があったが、こんな特異な事件が起こったときも、学校は外に出したがらなかった。
東原 暴力事件が起きたとして、これは犯罪だから学校では処理できない。それじゃ、警察で処理してもらおうとすると、子供の親から「学校は子供を警察に売った」と責められる。校長も校内で起こったことは教育問題だから、学校が責任を持って処理したいという思いがある。なるべく穏便にとなる。国が「警察へ連絡して対応しなさい」と言いだしたのは最近。しかし、地域の声とかがあるから、そう簡単ではない。
小野 それは児童福祉法や少年法できちっと決まっていること。法律に触れる行為があったとき、国民には通告の義務がある。学校はその義務を怠ってきたわけだ。本当に子供のためなのか、地域の人たちの声なのか。もう一つ、忘れてはならないのが自己保身のためなのかということ。この点をしっかり見つめてほしい。保護者や子供からみると、こんな自己保身は丸見え。教育のためとか、プライバシー保護のためとかにすり替えてはいけない。
細川 かなり前に子供同士の乱闘事件があった。ただ、学校は事件を伏せてしまった。するとどうなったか。他の子供たちがけんかした時、「この間のに比べたら」と言われ、注意できなくなった。命にかかわるようなことは絶対に公表しなければならない。そうしないと必ず禍根を残す。
東原 ただ、最近の保護者は学校で解決しなければならない問題でも教育委員会に持ち込んでしまう。
細川 恐らく、保護者に人質意識があるからだと思うのだが、学校はそんなちっぽけな考えは持ってないから、どんどん言ってきてほしい。それが教育活動のエネルギーになる。
東原 学校開放はだんだんと良くなってくると思っている。総合学習は地域の人たちに学校へ来てもらわないとできない。学校評議員を設置するようになるだろうし。地域の人たちにいろいろな問題を具体的に話し合ってもらえればいい。
―学校評議員は全校にあるのか。
東原 香川ではこれからつくろうという段階。
小野 そんな組織をいくらつくっても、ものを言わない人や都合のいいことしか言わない人ばかりを集めたのでは何にもならない。
細川 隠れみのに?
小野 そう。へたなことを決めてもらったらかなわない。ええ迷惑ということになりかねない。
―最後に一言。
細川 一部の例を挙げて全体を語る小野さんの主張には「そうでない」との思いが最後まで残った。
小野 「どうしてこんなに意見が違うのだろう」と不思議に思ったのだが、細川さんらが頭に描く教師像と全然違うからだと分かってよかった。が、自分のところにあるどうしようもない教師の事例を、細川さんらにどのように伝えたらいいのかが大きな課題だ。
東原 「論点香川」を集団として受け止めていたのだが、自らを顧みる鏡とすれば考え直す点はある。個人が考えることに意味があるんだなと感じている。
県教育会とは
明治22年創設。戦後に解散したが昭和42年に再興、3年後に社団法人となった。各郡市の教育会で組織され、現職の教職員やOB、保護者らで構成する。10年度の会員数は約1万300人。教育研究団体の活動助成や講演会の開催、教育功労者の表彰などを行うほか、進路指導部が中学生の一斉テスト「学習の診断」を作製している。
明石安哲、大西正明、山田明広、泉川誉夫、山下淳二が担当しました。
(1999年6月28日四国新聞掲載) |