シリーズ追跡 高松高 定員割れ
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基準失い、安全志向へ

 今春の高校入試で“異変”が起きた。県内一の進学校・高松高が初めて定員を割ってしまったのだ。「安全志向が強かったのでは」「高校選択が多様化したし…」「中学校での進路指導も変わったから」―。異例の事態を受けて、父母や県教委も戸惑いを隠せない。高松高の定員割れは今年だけの“珍事”なのか。それとも、高校入試を取り巻く環境が大きく変わってきた兆候なのだろうか。また、入学定員の決め方はどうだったのか。今回は中学、高校側の受け止め方などを中心に「定員割れ」の背後を探った。

全員合格 東・南高にしわ寄せ 進路指導で対応しきれず

初の定員割れがさまざまな波紋を広げた高松高の合格発表
初の定員割れがさまざまな波紋を広げた高松高の合格発表

 「ランクの高い高校ほど無競争に近い。公立高校は県民の税金で運営しているのだから、できない子という弱者の入れる高校もほしかった…」
 受験生の子供を持つ母親から本社に届いた一通の手紙。そこには高松地区における定員配分や競争率の格差への不満がつづられていた。
 今春の高校入試では、偏差値ピラミッドの頂点に位置する高松高が定員割れし、全員合格となる一方、高松東、高松南高の普通科で百七十―百四十人もの不合格者が出た。
 従来なら数十人はいるはずだった高松高の不合格者が、そのまま玉突き状態で下に押し出され、ピラミッドのすそ野にあたる高松東や高松南高であふれた格好だ。

 吸引力が低下?
 「高松高の定員割れは、おそらく創立以来初めて。びっくりしましたね」と県教委高校教育課。内部ではむしろ定員を四十人増やしたため、受験者が殺到するとの見方もあったが、ふたを開けてみると三十三人もの定員割れ。志願変更でも結局、定員に二人届かなかった。
 高松高の秋山忠校長は「定員割れは非常に残念」としながらも、全員合格については「十分な学力があると判断した」と強調。さらに「定員割れイコール魅力の減少では決してない」と吸引力の低下を強く否定する。
 一方、中学校の進路指導関係者にも衝撃が広がっている。
 高松市内の中学校教頭は「想定外の事態。これまでの進路指導では対応しきれない部分があった」と率直に打ち明ける。
 平成元年以降、高松地区(高松市、木田郡、香川郡)の公立高校の定員は、生徒数に比例し毎年のように減少していたが、今年は逆に前年より百十人も増加。「これまで減少傾向の中で蓄えた進路指導のノウハウが、定員増という変化に対応できなかったのかもしれない」と県教委も指摘する。

 判断の目安なし
 かつて輪切りによる進路指導の根源と批判された「学習到達度診断テスト」。この県内一斉のテストが五年に廃止されたのを機に、進路指導の在り方が大きく変わったと言われる。
 従来の一斉テストでは、全体の順位が打ち出され、各高校の合格ラインもはっきりとしていた。これを高校の序列と組み合わせ、輪切りで受験校を決めるのが進路指導の実態だった。
 現在でも年五回、県内同一のテストは存在するものの、校内での採点・分析だけ。「中学校間で情報交換はしていない」(県教委)のが建前だ。
 この客観的な基準がなくなったため、生徒も進路指導も無理をせず確実に入れる学校を目指す傾向が強まっているという。それは、生徒や保護者の公立志向の強さの裏返しでもある。
 「もし従来の一斉テストがあれば、高松高で定員割れするはずがない」と高松市内の中学校教頭は断言する。このことは、すそ野の高校でも異常な数の不合格者が出ないことを意味している。

 八ケ岳方式
 その一方で、生徒の志望動向が変化しているとみる関係者も多い。
 かつて高松地区は高松高だけが突出した「富士山」だったが、現在は同じような山が並ぶ「八ケ岳方式」に変わったと言われる。
 それぞれの高校が、大学進学を目指す「特別クラス」などで特色を出し、地域の中学生の受け皿になる。中学校もそれにこたえて、優秀な生徒を送り込む。
 「無理をして難関校へ行くよりも、近場の高校の進学クラスを希望する生徒も増えた」と中学校関係者。選択肢の広がり、生徒や保護者の価値観の多様化により、相対的に高松高の魅力が低下したというわけだ。
 今回の入試で職業系学科が高い人気を集めたのも、その傾向を裏付ける。
 だが、選択の余地は広がったものの、高校の序列は依然として存在し、潜在的な高松高への進学志向はいまだ根強い。県教委の定員増の判断も、この点を勘案したことは否めない。
 中学校側は「現在では行きたい学校へ、というのが進路指導の大前提」としながらも、「実際にはまだまだ点数による『進学指導』にならざるを得ない」と現実とのギャップを打ち明ける。
 今回の現象は、一過性なのか、変化の始まりなのかはまだ分からない。
 ただ、ほとんどの生徒が高校に進学する中で、公立高校で志願者の三五%強もの不合格者が生まれ、費用のかさむ私立高校へ行かざるを得ない事態を招いた。県教委は、この事実を重く受け止める必要がある。

3対1 公私配分に大粋 大規模校は増員できず

 「受験生の動向を読み違えたんじゃないのか」「入学定員の決め方に問題はなかったの」―。県内一の進学校が「初の定員割れ」となった異例の事態を受けてさまざまな憶測やうわさが飛び交った。
 「定員の決定に当たっては卒業予定者数の動向などを十分に踏まえ、可能な限り配慮したのだが…」。想定外の事態に県教委の回答もどこか歯切れが悪い。
 そもそも公立高の入学定員はどのように決められているのか。

 紳士協定
 「高等学校教育は公立校と私立校が協力して担っていく。これが基本的な考え方ですから」。県教委高校教育課の宇川和幸課長補佐は「入学定員決定の大前提には公立と私立との配分問題がある」と解説する。
 香川の場合、公私の配分割合を「三対一」としている。つまり進学希望者の七五%が公立に、残りが私立に進学するように初めから振り分けられているのだ。
 この配分割合は昭和四十六年に県教委と私学代表者との間で取り決められた了解事項。四十四年の進学実績(公立六〇・六七%、私立一九・八%)を基にしたいわゆる「紳士協定」だ。
 その後、文部省通知によって設置した公私の協議会に趣旨が引き継がれ、今も三対一で配分している。
 ただ、各県で事情は異なる。愛媛は公私割合を「七九対二一」としているのだが、徳島や高知には明確な割合はない。
 「私学側と意見交換しながら、県教委が妥当な入学定員を判断している」(徳島)に対して、高知は「定員問題については二、三年前から私学側との議論が平行線をたどっており、協議会も開いていない。県教委が独自に判断して定員を決めているのが現状」。私立校の数や規模に加え、私学への進学希望動向も各県まちまち。公私配分もそれぞれの”お国事情”を反映しており、どれが最良なのかは一概には言えない。

 40人単位の増減
 このほか、入学定員の決定には普通科と職業科の比率、地区ごとの競争率、卒業予定者数の増減などの要因が加味される。今回、高松、高松西、香川中央で各一クラス(四十人)の定員増とした背景はこうだ。
 今春の中学卒業者は高松地区(高松市と木田、香川郡)全体で百三十人ほど増加していた。「特に高松市中心部と西部から南部にかけてが顕著だった。最近の普通科志向や通学の便などにも配慮した上で高松など三校の定員を増やした」と県教委は説明する。
 卒業予定者が増えた地域内にある公立校の定員増で対応するのは、通学の便だけからみると妥当とも思える。が、地域要因だけでは受験生の動きはとらえ切れない。さらに教員配置の制約から、普通科では一クラス単位の増減で対応せざるを得ない不自由さもある。
 「どこをどのくらい」の判断は簡単ではない。

 15年間のつけ
 もう一つ、香川では大規模校の解消が遅れたことで定員決定が柔軟さを欠いている面は否めない。
 昭和四十年代、生徒数が増加していたにもかかわらず、三豊工(三十七年)から高松西(五十二年)までの十五年間、公立校の新設はなかった。そのため、県内では良好な教育環境を確保するための大規模校解消が今も進められている。
 「たら話」は避けるべきだが、各校の志願状況を見る限り「今回は高松南の定員増でもよかったはず」との声は根強い。「ただ、県内最大のマンモス校だったため、難しかった」(県教委)。十五年間のつけがいまだに尾を引いている。
 「公立に行きたい生徒は圧倒的に多い。定員割れは極力避けないと、それだけ公立に行けなくなった生徒がいるんですからね」。高松市内の中学教頭は「定員割れを安易に考えてほしくない」と声高に訴える。
 今後、生徒数はますます急減する。「これまで通りの三対一の公私配分では私立校の経営が成り立たないことも想定される」(県学事文書課)。公私配分を含めた入学定員の再検討がそう遠くないことだけは明らかだ。

 大西正明、山田明広、泉川誉夫が担当しました。

(1999年4月5日四国新聞掲載)

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