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善通寺市の中学教諭の体罰問題が大きく報じられた直後、追跡班に長文の手紙が届いた。「新聞は解決策を何ら示さず、誤った権利意識を横行させ、ペンの力で有能な教師を葬り去っている」。「やむを得ない体罰」を容認する現場教師からの痛切な抗議だった。手紙には、子供たちを威圧する力がなければ、小学校ですら学級経営ができない実態が綿々とつづられていた。本当なのか。教師たちの本音は。手紙の主を含め、公立学校の教師3人(A=教師歴15年・小学校、B=同20年・同、C=同10年・中学校)に、建前にとらわれない生の声を聞いた。

手紙の指摘
いじめのためだけに登校している子供がいる。注意も聞かない。そんな子供は厳しい態度なくして指導することはできない。残念だが、現実には体罰もやむを得ない場合がある。もはや公立学校では、しつけといじめに対する対応が全くできない状態になっている。
いま現場は
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| 小学校ですら学級経営ができないところもあるという。どんな変化が起きているのか(本文と写真は関係ありません |
―体罰は日常的なのか。
B 指導手段として、頻繁に、安易に、という意味からは、そんなにない。
A 昔より減ったが、生徒に全く触らない極端な教師も出てきた。
―教師が一方的に我慢しているのか。
B そうだと思う。子供たちは荒れる一方だ。どんどん駄目になっている。
―どんな状況なのか。
A 子供は好きなようにする。むちゃくちゃをする。怖いものが全くないから。
―具体的にいうと。
B 演技しましょうか。
教師「ノートを出しなさい」
児童「なんで」
教師「出さんと、勉強ができんでしょう」
児童「うるさい、向こうへ行け」
教師「きちっと勉強できんじゃないか」
児童「(隣に)おい、お前、出すんか。出さんわの。おもっしょない。勉強や分からんのに」
B まあ、こんな感じ。
―どう対処するのか。
B 授業は止まる。授業を進めるために、その子供を放って置くと、学習権を放棄させたとなるから、お手上げだ。
A 1人でもこんな子供がいたら、クラスは崩壊してしまう。教師は体罰できない、厳しくしかれないため、隣の教室で遊ばせるしかない。そうすると、ほかの子供たちの間に不公平感が出てくる。「僕も遊びたいのに、我慢して勉強している。あの子はむちゃくちゃをやっても許されている。僕も遊ぼう」となる。ここで教師が注意しても聞くわけがない。子供たちも学習する。例外を許すと、みんなが追随する。これが学級崩壊につながる。
―なぜ、広がるのか。
A 昔はそういう子供はかけ離れた存在だった。あの子と自分は違うという意識が子供の中にあったが。
―すぐ崩壊するのか。
A 学級が崩れるのは非常に短期間。1年もかからない。大体、1学期程度で崩壊してしまう。
―小学校でもあるのか。
A いくらでもある。そういう学校で共通しているのは、一切、教師が手を出していないという点。崩壊していく中で、多くの教師は投げてしまう。
B 日が暮れたら、1年たてば、時間が解決するで終わり。極端な言い方をすれば、指導放棄やね。
―ある種の恐怖感を与えないと、子供は言うことを聞かないということか。
B 脅しではないが、大人は怖いな、先生は怖いなと思わせる緊張感は必要。「この先生は大丈夫だ」となってしまうと、次からはもう何を言っても駄目だ。
C 中学校では目線も同じになる。文字通り対等に話ができる。1回でも教師が負けると「先生はこんなもんか」という思いが子供の中に生まれてしまう。
―体罰を振るわずに、学級崩壊を食い止めている教師はいないのか。
B いるでしょう。僕自身はそうだと思っている。
A 現実に見たことはない。もちろん僕も体罰はしない。だが、いつも「今にもするかもしれないぞ」との雰囲気は持っている。
―そんな状況では、女性教師はやっていけない。
A だから、どこの小学校でも、中堅の男性教師はすごく重要な存在になっている。間違いなく。
B 40代後半の管理職を狙おうかという女性教師が3人ほど欠けても、学校は困らない。が、男性教師が1人でも抜けると、とんでもない状況になる。
―まるで用心棒だ。
A 結局、子供に言うことを聞かせる威力があるということ。言葉は悪いが、そうかもしれない。
―体罰はそんな状況の中で行われるのが大半か。
A まず、言葉が通じるのかどうかが最低ライン。言葉が通じなくなったら、もういくら言っても駄目なものは駄目だから。
―教育とは子供たちの思いに言葉を与えてやることが基本。言葉が通じないと教師があきらめては、教育は成立しない。
C 義務教育の目的はそうだと思う。生きていく力をつけるのがベースだ。ただ、子供にそれらを吸収しようとするスポンジのような柔らかさがなければ、教育自体が成り立たない。
―そのスポンジが硬くなってしまっているのか。
C そう思う。
B 1年間に病欠300日が5年続いても、卒業できる。成績が向上しない子供も、認定会の場で「進級させてください」と担任が頼めば、校長は認める。勉強が難しくなる過程で子供が楽しくなるはずがない。
―クラスメートをいじめるだけに登校する生徒、ムシャクシャするから友達をなぐる、けるという生徒は実際にいるのか。
C 中には先生に反抗するのがおもしろいとか。周りに「ええ格好しよう」とかね。そのためだけに学校に来ている。
―先生に反抗したら、ヒーローになるのか。
A 反抗すると、「あいつはやる」ということになる。「自分たちにできないことをやるやつなんだ」となる。テレビでそういうのを見るから、あこがれる。
B まじめさは、あざけりの対象。そういうのが9割を超えている感じだ。
A 小学校でそれだ。教師が引くと、先生はあいつには勝てないというムードが学級にできる。いい子もたくさんいるが、教師が怒れない姿を見ると、駄目だと思ってしまう。例えば、いじめを見たら注意しなさいとか言っても、先生が止められないのをなんで自分が、となる。だから、見て見ぬふり、自分にさえ危害が及ばなければいい子供たちが増えてくる。
―体罰を加えると、よくなるのか。
A とりあえず、これ以上は暴れられない、というのが分かる。これが大事。タブーだが、なりますよ。

手紙の指摘
話が分からない子供がいるのと同時に話の通じない保護者もいる。確かに「出席停止処分」という制度はあるが、義務教育でこれを実施すると必ず「教育を受ける権利を奪った」との抗議がある。意欲を失った教師を辞めさせられない公務員の在り方にも問題はある。
どうすれば
―学級崩壊の最大の要因は。
A 家庭でのしつけ。「先生の言ったことは聞きなさい」という最低限の心構えもない。我慢をしたことがないから、集団生活の中で、ちょっと嫌なことがあると、もうどうしようもなくなる。これでは教育は成り立たない。学校も教師も限界がある。
C 表現は悪いが、腐ったリンゴが落ちる(卒業する)のを待つしかない。
B 問題のある子供の保護者とは毎日のように話をするが、話にならない場合が多い。中には、子供がまともに育つはずがないと思わせるひどい親もいる。
―出席停止処分という制度があるが。
A 人権意識が邪魔をして、めったにできない。
―だれの人権なのか。
A 問題を起こした子供のだ。どんなにひどい場合でも、出席停止にすると言えば、保護者は必ず文句を言ってくる。間違いなく。
B 逆に「うちの子は迷惑をかけるので、休ませます」と言われたことも何回かある。当てつけで。立場上、教師は「そうですか」とは言えない。一生懸命指導しているから「学校に来てください」と教師がお願いすることになる。内心はそう思ってはいない。義務教育の哀れな姿だ。
―学校で解決できない問題は公にするべきでは。
B 警察などを呼ぶのは大変なことだ。
―外部の力の導入は教師にとって「教育の敗北」との思いが強いからか。
C 教師にも子供に対する愛情がある。二の足を踏むのは当たり前。ずっと一緒に生活してきたから、教師としては耐えられない面もある。
―学級崩壊をテーマにした研究会はないのか。
A ない。研究にならないからだろう。それこそ新聞で提案してほしい。正常な教育活動が成り立つかどうかを考えるのが先決。
―授業中にひと言もしゃべらない先生がいると聞いたことがあるが。
B 不適格な教師が燃え尽きたんやね。
A ここで教員公務員制が問題になる。不適格者でも辞めさせることができないからだ。普通の会社ではクビになるところだが、やる気を失った教師は、そこで一気に教師から公務員に変身してしまう。
―抜本的な解決策の提案はないか。
B 小中学校の場合、市町村が教師を雇えばいい。現状は県で集めた教師を適材適所で配置している。裏返せば駄目な先生をどうごまかそうかとしている。また、フリースクールのように校区をなくして子供自身が学校を選ぶのも一案。そうすれば、つまらない学校はつぶれる。
C まず、教員のスト制度を導入する。教師が自らの考えや意見が言える場をつくらなければ。
A 教員と保護者の双方にペナルティー制度をつくるべきだ。教師の退職勧告を厳しくした上で、保護者には問題のある子供をとりあえず出席停止にすることを認めてもらう。そうすれば、大幅に改善されるのではないか。
手紙の指摘
体罰報道は利益より不利益が大きい。体罰は許さないとのキャンペーンが有能な教師を葬っている。その結果が荒れる学校の多発につながっている。誤った権利意識をあおり、何の解決策も提示せず、問題だけを大きく取り上げるのはあまりにも無責任といえる。
報道に異議あり
―体罰報道のどこが問題なのか。
A 善通寺市の中学教諭の場合は、保護者にも謝罪しており、自分の行動に対する対処は行っていた。10日も経ったあとで、大きく取り上げたのは、どんな効果を狙ったものなのか。全く理解できない。
B 一度でも報道されると、教師はへこたれて、絶対に立ち直れない。厳しい指導などできなくなる。
A マスコミは常に「いいか悪いか」の2極分化論だけだ。ケースバイケースという視点は全くない。
―大部分の教師は体罰報道が現場教師を萎縮させていると感じているのか。
A その傾向は強い。
B 報道する側は事実をしっかりと調べてほしいと思う。当事者の声や目撃証言を集め、無理もないことだったのか、行き過ぎがあったのかをきちっと調べた上で報道してほしい。
―善通寺の問題でも限られた時間の中で、可能な限りの取材をした。事件によって書くべきかどうか厳しく選択している。体罰問題で書かない事例もある。
A 学校内で傷害事件があったとしても、ほかの傷害事件と同じ扱いにすべきではないか。
―それはできない。通常は自殺は記事にしないが、取り調べ中の官僚が自殺した場合などは大きく取り上げている。それは一般の人々に関心を持ってもらいたいことがあるからだ。学校や教師も同じだ。
A 戦後は、教師もただの人。保護者と対等の関係にある。一方で完全に対等で、もう一方で特別扱いは変じゃないか。
B 荒れる学校を解決する方法をマスコミに求める気はないが、報道するのなら、解決策も視野に入れた記述をしてほしい。
A 解決への具体策も示さず、教師や学校を責めるのは無責任ではないか。
―社会の事象に対し、さまざまの考え方や議論の種を提供するのが新聞。「こうでなければならない」と言う立場ではない。
B 記事の扱いはそうではない。「教師の反論は載せない」意思を感じる。一方的に校長や県教委が謝罪するだけだ。読者には県教委は「間違いを認めているんだな」とか「先生はつまらんのやな」と短絡的に受け取られてしまう。
―先生方の組織の問題だ。正しければ、校長が異議を唱えればいい。新聞は言えば書く。論議を起こす管理職を育てられない風土、トラブルは学校内で済ませたいという秘密主義が問題ではないのか。
A 荒れる学校の背景には「間違った権利意識の横行」がある。これはマスコミが個人主義や権利だけを過大に報道してきたことが原因。権利には義務が、自由には責任があるということが抜け落ちている。脱税している人が税金が高いとは言えない。同様に、校則改正を叫ぶ権利は、いやいやながらも、校則を守っている者にしかない。社会的モラルを構築する報道を心掛けてもらいたい。
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追跡班から
色浅黒くがっちりとした体格、自らの価値観を疑わない語り口―やや体育会系の雰囲気を漂わせる3人の話を聞きながら、追跡班は現実は理解しつつも、違和感をぬぐえなかった。
その核は、3人とも「力を背景にしないと、子供たちの奔放な行動を制御できない」と声をそろえたことだ。体罰をする、しないは結果だが、子供たちは「やられる」というある種の恐怖感がないと、言うことを聞かないという。
もし、それが現場教師の多数の実感だとすれば、怖い話だと思う。教育の原点は、思いを表現する術の伝達だ。言葉や論理によるコミュニケーションを放棄した時、教育は崩壊する。力ある者の「恐怖支配」は、上下どちらからであれ、あってはならないのが、この社会の最低限のルールだ。
こう言うと先生方は「だからマスコミは信用できない。解決策も示さないで」と反論する。確かにそういういらだちは分からないことはない。が、そうした批判を受け止め、解決するのは結局、教師自身でしかない。プロは、外部の意見に耳は傾けるが、解決策を求めたりはしない。
一方で追跡班は、3人の先生方に感謝している。閉鎖的な教育界で、公表を前提に本音を言うことの困難を知っているからだ。恐らく読者には反発が多いだろう。が、まっとうな教師が追い詰められている現実があることも、社会は知らなければならない。 |
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山田明広、泉川誉夫、山下淳二が担当しました。
(1998年7月20日四国新聞掲載) |