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引き算の人生

2008/05/19

死までに何ができるか

 だれしもが何かを成し遂げよと使命を帯びて生かされている。自分だけのための人生ではない。自分に何ができるのか、時間尺を考えて引き算をする。そうすれば、将来への漠然とした不安など吹き飛んでしまう―そういう話をときどき若い人たちにしている。

 意図するところが彼らに伝わっているようには必ずしも思えない。自分の人生はいつまでも続くものだと考えているようだ。「死」は自分と無縁のところで起こる事であり、自分はいつまでも死なないと思っているのだ。あれもやりたい、これもやりたいと「足し算の人生」しかないのだ。私自身も若い頃はそうだった。正直に申し上げれば、三年ほど前に還暦をすぎるまではまだ足し算の人生だった。

 肉体的に老いを自覚せざるを得ない状況に追い込まれて、さて、残る時間で何ができるか、何をしなければならないか、という引き算の人生を考えるようになった。人は死ぬ。必ず死ぬ。生きるということは、死ぬための準備なのである。そうなるときちんとした死への心構え、すなわちそれなりの死生観を持たなければならない。

 吉田松陰が弟子たちのためにしたためた遺書ともいうべき「留魂録」にあらわれている死生観は、読む者の心を激しく打つ。安政六年(一八五九年)、小伝馬町上町牢[ろう]の刑場の露と消えたのは、留魂録を書き上げた翌日のことである。松陰は数え年でわずか三十歳、明治維新まであと九年だった。わずか五千字ほどの留魂録の第八章で松陰はこう述べている。

 「今日死を決するの安心は四時[しじ]の循環に於て得る所あり。蓋[けだ]し彼[か]の禾稼[かか]=穀物のこと=を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す」つまり、こう述べている。「今日、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。つまり農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する」(古川薫訳注)

 「吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以って云へば、是れ亦[また]秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん」(私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである=同)

 松陰は言う。十歳で死ぬものはその人生の中に四季がある。十歳が短くて百歳が長いなどということはなく、いずれにも四季がある、と。松陰はいまでいえば冤[えん]罪での刑死のようなものである。たくさんの手紙を書き、同時にこの留魂録を書残した。歴史に「イフ」は禁物だが、松陰が明治まで生きていれば、日本は違う道を歩んでいたかもしれない。壮烈なる遺書に刺激されたか、松下村塾の門下生のほぼ半数が明治維新を見ずに世を去った。多数が自刃、斬死、戦死だった。

 松陰で感動するのは、愛弟子たちへのメッセージの力強さである。不条理な死に直面しながらも、切々と説く。あわてふためいたところがない。松陰の倍以上も命永らえて、その境地や死生観にあまりにも遠いところをさまよっている自分に気がついて愕[がく]然とする。

 現代の政治指導者は人々の心をとらえ損なっている。生に執着しすぎるからである。国家国民のために命を棄てるという覚悟がない。松陰や西郷隆盛がいまなお日本人にとっての英雄であり続けるのは、その死生観の見事さゆえのことである。西郷は明治に入ってのち、旧庄内藩の藩主たちに問われて語った「南洲翁遺訓」でこう述べている。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は仕末に困るものなり。その仕末に困る人ならでは、艱難を共にし国家の大業は成し得られぬなり」と。

 行動の規範が自己の利害だけだったり、弁解ばかりが目立つ指導者はもう必要ない。敗戦後、日本は羹[あつもの]に懲りて、指導者育成や、若い世代の中から指導者を育成するという重要な仕事を放棄してきた。それでは国も社会も良くならない。豊かさの追求ばかりの社会からは優れた指導者は生まれない。

(早稲田大学大学院教授、日本経済新聞客員コラムニスト)

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