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真の幸福へ

2008/01/21

旅立ちの「平成20年」に

 平成二十年。平成生まれの大学生などに会うと、時間の早さにあらためて驚かされる。あれから二十年、自分は果たしていくらかでも成長しただろうか、と来し方を思う。平成元年、この年に新聞社のワシントン勤務から帰国したので、記憶はかなり鮮明である。あのころ生まれた子供たちが、もう成人になるのだ。

  昭和天皇が亡くなり昭和から平成に変わったのが一月早々。昭和を象徴する歌手、美空ひばりが亡くなり葬儀で流れた「川の流れのように」がヒットし、長渕剛の「とんぼ」も人々の心をつかんだ。富山県八尾の祭りをテーマにした石川さゆりの「風の盆恋歌」が流行(はや)ったのもこの年である。

  村上春樹の小説「ノルウェイの森」がベストセラーになり、大相撲では横綱千代の富士が六場所のうち三場所優勝した。竹下登首相が退陣し、宇野宗佑首相が登場、ここから日本政治の混乱の時代が始まった。あのころ日本はまだかなり元気だった。ワシントンから発信した記事は、米国の不動産を買いあさる日本への非難や、自動車やパソコンなど日本製品を叩(たた)き壊す米議会での騒ぎなど、強い日本経済の話が多かった。

  そして平成二十年のいま、世界中の株価が昨年一年間で上昇しているときに、日本の下げ幅はアイルランドについで二位。もっぱら日本の魅力のなさが外国人投資家から嫌われている理由だといわれる。東京と名古屋周辺だけが元気で、地方は格差への悲鳴が聞こえる。年金はデータが消えたという信じられないような理由で、老後の不安は募るばかり。「偽」という字が昨年を象徴する漢字として選ばれる悲しさ。

  どうやら日本中が不幸を嘆いているような気がする。幸福かどうかなど気の持ちようだ。昨日より明日のほうが豊かになる、という思い込みをまずやめてみたらどうだろう。昨日、おなか一杯においしいものを食べた。明日はもっとおいしいものを食べようと思うから、それがかなわないと惨めな気持ちになる。一日でも食事を抜くか、粗食にしてみると、そのあと食べるものはあり合わせの茶漬けでもほんとうにおいしく感じるものだ。

  昔はどこの家庭でもたくさんいる子供たちが、けんかをしながら食べ物を取り合った。いま、子供たちは飽食になれ、食べたくないために親に言い訳する。世界中で何億人もの飢餓状態の子供たちがいるのだ。昨年秋、カンボジアの遺跡アンコールワットのそばのシェムリアップという町を訪れた。日本のイオングループの支援でできた近隣の小学校を訪ねたが、この国には義務教育制度がまだない。

  数百人の子供たちがいたが、全校で何人いるのか、という質問にたった一人の先生は「わかりません」と答えた。すなわち、どの子が登校してくるかはだれもわからないし、一枚のシャツが手に入らないために学校へ来ない子供たちが半分はいるのだという。日本の小学生よりも小さい彼らは、目を輝かせて勉強していた。英語の授業ではわれわれに「ハロー」と声をそろえた。

  経済的な豊かさは、ほんの少しの間、人々を幸せにする。しかしながら、それでは獲物にありつく動物と同じで、人間としての真の幸福にはほど遠い。学ぶことの喜び、考えることの大切さ、それに「知的に生きる」とは他への思いやりにつながるということ、それらが組み合わさって人間らしい充実感を感じることになるのである。

  戦後、豊かさをひたすら求めて働いてきた日本と日本人は世界から一定の尊敬を勝ち得てきた。数々の経済データが下降し始めてから、日本の注目度は著しく低下した。それなりに国際貢献もしているが、きちんと評価されているとは言いがたい。気がつけば経済力ばかりでなく子供たちの学力も、ドーンと落ちてしまっている。学力の低下は取り戻すことが可能だと思うが、日々学生に接していて痛感するのは好奇心のなさである。

  「なぜ」「どうして」と不思議に思うところから知的向上心が生まれる。知的向上心が希薄だから、こちらから質問するとみな同じような答えしか返ってこない。たまに聞いてくるのは「どうすれば〇〇になれますか」というような進路への質問だ。答えがあるならこっちが教えてほしいぐらいだ、と答えると、きょとんとする。

  日本も平成になってからはや成人式を迎えたのである。短期的に虫の目ばかりで見つめて嘆き続けるのではなく、高い視点から鳥の目で日本と世界を見つめる必要がある。この二十年があっという間に過ぎ去ったように、これからの二十年も、すぐに来るのだ。そのためには考え方を変えなければならない。できない理由を並べ立てて悲観ばかりしていてもどうにもならない。どういう国にするのか、どういう社会にするのかを考えて、そのために何が足りないのかを考える。その旅立ちの年にしたい。

(早稲田大学大学院教授、日本経済新聞客員コラムニスト)

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