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安倍首相退陣

2007/09/14

哀しい「指導者」の現実

 情けない。思わず下を向いてしまうほど恥ずかしい。しばらくして、別の感情がこみ上げてきた。かわいそうだな、という憐(あわ)れみの気持ちである。参院選の歴史的敗北にもかかわらず続投を宣言した安倍晋三首相に「これだけの敗北のあと、国民の信頼を取り戻し、実績を残した国家リーダーは世界的にいっても見当たらない」と署名記事やテレビ番組の中で苦言を呈してきた私でさえ、突然の辞意表明は理解できない。

  大臣は普通の人でもつとまる。内閣総理大臣はそうはいかない。日本人の生命と財産、それに国土の保全と日本という国家の矜持(きょうじ)のすべてを一身に背負うこの地位は、だれにも相談することのできない孤独な地位である。

  これまで取材してきた19人の首相のうち、数人は、重圧に耐えかねて政権を投げ出した。孤独に耐えうる人でなければつとまらない。自分の身体は自分のものであると同時に国民のものでもある、と考えて常に健康を維持していなければならない。心身ともにそれに耐えられないと判断したときは、身を引かなければならない。突然の退陣表明の理由が健康不安であっても、無責任という批判を免れることはできない。

  健康不安が原因であればあるほど、潔い辞め方があったはずである。しかもインド洋における給油活動を継続したいけどなかなか厳しいので、局面転換のために身を引く、という説明はいったい何だったのか。国際公約を守らないでいいのか、と野党に疑問を投げかけた3日後に、自ら国際公約を破るようなことをしてしまった。

  いまも思い出す。昨年の夏、小泉純一郎氏がまだ首相在任中のことだ。「どうしても安倍さんは総理総裁の器だとは思えないが」という私の質問に小泉氏はこう答えた。「総理なんてね、やってみてわかったけど、だれだってできる。それに安倍君は、幹事長と内閣官房長官をやって飛躍的な成長を遂げたよ。2つとも、予定できないことばかり扱うポストだからね」。

  昨年の総裁選の最中、3人の候補者と同じ飛行機に乗って福岡で開かれた自民党九州ブロック大会での候補者討論会にコーディネーターとして参加した。機内でも楽屋でも明るく話していたのは麻生太郎氏で、ときに谷垣禎一氏が笑顔で応えていた。安倍氏は緊張のせいかやや青ざめていて、1人で薬を飲んでいた。

  大敗した参院選の直前、安倍首相は自ら国民に語り掛けたいとテレビやラジオに毎日数回出演した。テレビ番組で2度、同席したが極度に緊張しているのが気になってしかたがなかった。頭に叩(たた)き込んできたことを全部、話そうとする。身振り手振りをまじえ、自然に早口になる。内容も表情も固く、見ている人にはうまく伝わらない。

  キャスターの鋭い突っ込みにあい、思わずこちらを向いて助けを求めるような哀(かな)しい表情を一瞬見せる。頑張っているのに伝わらない、気の毒だなとそのときも思った。人間としても誠実で、やさしい。さほど親しいわけでもないのに、携帯電話にかけてきて、何事かと思ったら「(安倍氏の選挙区の)下関へ行ってくださったそうですね。家内がお目にかかったといってました。どうぞよろしく」というものだった。

  国家のリーダーを評価するとき、人柄だとか頑張っているからとかいうことを基準にしてはならない。政治指導者はあくまで結果がすべてである。もっともしてはならないことは「辞め際を誤る」ということである。なぜ、代表質問の直前なのか。理由がわからないとだれもが首をかしげる。幾日かたって、わからないはずだ、理由はないんだ、ということに思い当たった。

  所信表明演説でこれから何をするかを説いた首相に野党が質問を浴びせる。あの日、首相の前には官僚たちが書いた「首相答弁」草稿が積み上げられていたはずだ。午後1時からの衆院本会議を前にそれを読んでいた首相が、突然、不安に襲われた。自分にはもうできない。試験の日の朝、すべてが絶望的に思えて学校へ行かなくなった子供のような心理。そのころ閣僚たちは国会の中の閣僚応接室で開会を待っていた。鳩山由紀夫民主党幹事長は質問の草稿を読み終え、会議場3階の記者席は埋まり始めていた。首相が突然、辞意を表明したことですべてが止まってしまった。同じ国会で2度も首相の所信表明演説が行われるという明治憲法下でもなかったようなことがこれから起こる。

  「職業としての政治」という古典的名著の中でマックス・ウェーバーはこういう。「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」「これをなしうる人は指導者であるだけではなく、―はなはだ素朴な意味での―英雄でなければならない」(脇圭平訳)。すぐれた指導者を発掘し、育成する仕組みを本気で考えなければならない。

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