住民発議 小豆島(上)

第4部 視線は高く8

島の未来は自らの手で

 八月二十五日。土庄、内海、池田の三町議会は一つの決断を下した。合併の是非を含め二十一世紀をにらんだ島の青写真を考える合併協議会の設置決議。住民発議による同協議会の設置は四国では初めてだ。

 「昔でいえば百姓一揆のようなもんやね」とは、住民発議の中心となった「小豆島合併を考える会」の矢田常寿実行委員長(38)。「お上(行政)任せでは島の再生は手遅れになる。そんな意識がようやく島民に芽生えてきたようだ」。

島はひとつ

 「島の未来は自分たちで決めよう」。これが活動の出発点だった。

 一月末には小豆島青年会議所が中心となって考える会を設立。四月には合併協議会の設置を求める署名運動をスタートした。一カ月で集まった署名は三町合わせて七千五百四十四人。有権者の四人に一人が"一揆"に賛同したことになる。

 全国的に合併の動きが低調な島しょ部にあって「小豆島は全国でも活発な地域」(自治省行政体制整備課)。国の意を酌む優等生とも映るが、「合併ありきで始めたわけではない」と、考える会の岡田好平会長は強調する。

 「目的は『島はひとつ』という意識への変革。合併協議会は島の未来を議論する土台に過ぎない」。三町の枠組みに縛られたままでは、低迷する島の現状を変えられない。発議にはそんな島民のメッセージが込められているという。

 矢田さんは島の様子を「沈みかけの船」に例える。

 人口は戦後のピーク時の六割に減り、毎年五百人が島から消えている。頼みの観光客も昭和四十八年から漸減傾向で、宿泊客は瀬戸大橋ブームにわいた六十三年からわずか十数年で半減した。しかし、行政の観光振興策は"我田引客"と揶揄(やゆ)されるほど一体感は乏しい。

 「今必要なのは理屈よりも行動。みんなで水をくみ出さないと本当に沈没してしまう。私たちにとって島は絶対エリア。単なる行政区分の問題じゃない」。矢田さんは、陸(おか)の合併論議との違いを強調する。

庁舎で物別れ

 が、住民発議の盛り上がりをよそに、その実現については懐疑的な見方も強い。「台所事情を考えれば合併しかないと思うが…。なかなか難しい地域だからね」。土庄港で客待ちのタクシー運転手も首をかしげる。

約7500人の賛同を集めた署名運動。合併の是非を含め、島の未来を考える議論が始まる=池田町
約7500人の賛同を集めた署名運動。合併の是非を含め、島の未来を考える議論が始まる=池田町

 それには訳がある。昭和四十年、合併特例法公布を受け島はにわかに合併機運が高まっていた。当時、三町は合併連絡協議会を設置、「合併は対等」「名称は小豆島市」という案まで出されたが、庁舎の設置場所について土庄と内海が譲らず議論は紛糾。結局「合併は時期尚早」となった経緯がある。

 島内一の人口を抱え、商業の中心である土庄町。一方、内海町は観光や地場産業を支えているという自負がある。「島は人間関係が深い分、排他的な面も強い。二町の構図は今も変わらない」との声は多く、今回もこの地域性がネックになるとの懸念は否めない。

 「だが、当時は右肩上がりの成長期。今とは状況が違う」と塩本淳平土庄町長。「合併は住民の意思を尊重する」としながらも「改革なき所に前進はない」という。内海町の坂下一朗町長は、合理化目的の合併には異を唱えるが、「今の行政規模では生き残れない。二十一世紀に自信と誇りが持てる島にしないと」との考えを示す。

 「過去の失敗は一部の人たちだけの議論だったこと。庁舎の位置でもめはしたが、合併が望ましいか否かの結論を出したわけではない」と矢田さん。

 「少なくとも今回は結論を出す。三十年余り続いた閉塞感に終止符を打つ運動でもあるんです」。

正念場

 意識改革が過疎や観光の低迷に歯止めを掛ける打開策にはならないかもしれない。だが、考える会のメンバーは「ひょっとしたら何とかなる」という希望を感じている。事実、そうした動きも生まれている。

 合併協議会の設置が決まったことで、考える会は一応、その任を終えた。今後は、協議会の議論と島民の意見をつなぐパイプ役的な組織を立ち上げる予定だ。

 「とことん議論しないと。これからが正念場です」。変革に向け、島は最初の一歩を踏み出した。