生涯現役 沖家室島(上)

第4部 視線は高く11

定年Uターン、島の主力

 高齢化日本一の山口県東和町。その中でも沖家室(おきかむろ)島はとりわけ老人の比率が高い。住民二百十二人のうち六十五歳以上が百五十四人。高齢化率七二%の半農半漁の島だ。

 昭和五十八年、屋代島と結ぶ橋が架かり、離れ小島でなくなった後も若者は都会へと流れ続け、日本の繁栄と反比例するように過疎化が進んだ。

80代は働き盛り

 「どれ、畑の具合でも見てくるかい」。柳原フサコさん(94)は、くわを手に木戸をくぐった。腰は九〇度に曲がっていても、足取りは達者。裏庭でサツマイモ、ダイコン、ニンジン、カボチャと何でもつくっている。大阪と広島にいる六人の子供に、育てた野菜をせっせと宅配便で送る。

 「買うた方が安い、無理せんでええって子供らに言われる。けど、昔の人間じゃけん、体を動かさんと気が悪い」。夫を病気でなくしてから、独り暮らしが二十七年。娘に何度も同居を勧められたが「沖家室が一番。大きなお世話じゃって、けとばしとる」。しわくちゃの顔が明るく笑った。

 島の狭い往還を歩くと、生き生きとした表情のお年寄りに出会う。暗い隈(くま)取りで描かれがちな過疎・高齢のイメージは沖家室に似合わない。

 「ここじゃ五十、六十ははな垂れ。七十は半人前。八十歳でやっと働き盛り」と前老人クラブ会長の大谷武雄さん(87)。「畑仕事も漁も体になじんどるからね。年金で食べるには困らんから、あくせくやる必要もない。Uターン組が多いのも同じ理由じゃろ」。

全国に「メル友」

 石井正夫さん(78)は十年前、大阪の堺市から妻タカコさん(72)と二人で故郷の島に戻ってきた。

「体動かさんと気が悪いでな」。畑仕事に精を出す柳原フサコさん=山口県・沖家室島
「体動かさんと気が悪いでな」。畑仕事に精を出す柳原フサコさん=山口県・沖家室島

 非鉄金属の会社を定年まで勤め上げ、関連企業に転出。そこで技術者のプライドを傷つけられた。「六十過ぎたら一人前に扱こうてもらえん。自分がみじめやった」。会社を辞めたら今度は何もやることがなかった。仕事一筋で近所に知り合いもいない。数年間、引きこもり状態が続き、思い切って自宅を売り払った。

 沖家室に帰ると、途端に忙しくなった。郷土史研究会の世話役を頼まれ、廃校になっていた小学校を立派な郷土資料室に変えた。

 二カ月分の年金をはたいてパソコンも買い込んだ。先生役は島でただ一軒の民宿を営む松本昭司さん(44)。沖家室の情報を発信する松本さんのホームページに「石井正夫の歴史散歩道」を連載している。掲載をきっかけにできた「メル友」が全国に五十人。「うちにゃ、とっくにIT革命が来とる」。Eメールのやりとりが毎日の楽しみだ。

 「大阪時代とは別人。生き生きしてはるわ」と夫の"変身"を喜ぶタカコさんは引田町出身。十年前、夫の決断に猛反対したが今ではすっかり島になじんだ。「やっぱり瀬戸内海はええわ。子供時分に戻ったようで」。

 八木岩正さん(71)も定年Uターンの一人。「民生委員に自治会副会長、社協の評議員。濡れ落ち葉になるのが心配やったけど、そのひまもない」と地域の世話に駆け回る。

 沖家室では百二十世帯の約二割が定年Uターン組。大谷さん流にいえば、まだ「はな垂れ」「半人前」の世代が多い。

 石井さんはしみじみと言う。「自分が必要とされとる喜びゆうのかな。人間、やっぱりそれが大事や。気持ちの張りが違うで」。

定年のない暮らし

 定年なき島の暮らし。年をとっても慣れ親しんだ農作業や漁業にいそしみ、地域の付き合いを楽しむ。都会では隅に追いやられがちな高齢者も地域社会の主役として活躍できる。

 「生涯現役」の島らしい面白い話を耳にした。

 十数年前、ゲートボールブームに乗り遅れまいと老人会が空き地にコートをつくったことがある。ところが「遊んどるひまはないと見向きもされなんだ」(大谷さん)。一度も使われずじまいのコートは今、漁具置き場になっている。