再出発

第3部 豊島と直島13

共同体のきずな基点に

 早朝の島に笑い声が響く。直島町本村のゲートボール場は毎週一回、若者と高齢者の交流の場になる。

 二年前、町の青年がチームをつくった。仕掛け人は会社勤めの金光秀人さん(29)。生まれ育った島の乾いた人間関係に潤滑油を差したかった。「世代を超えた付き合いが全然ない。ぼくらからまずお年寄りに近づいていこうと」。

 集まったメンバーは九人、平均年齢二十八歳。地区老人会長の榧照雄さん(76)は「若い人の刺激はええ。張り合いができた」と喜ぶ。

変化の兆し

 「豊島と同じ産廃問題が直島で起きていたら? 反対運動はとても無理だったでしょう」

ゲートボールを楽しむ若者と高齢者。製錬所とともに生きてきた島で地域のきずなを求める動きが生まれている=直島町本村
ゲートボールを楽しむ若者と高齢者。製錬所とともに生きてきた島で地域のきずなを求める動きが生まれている=直島町本村

 前直島町連合自治会長の高崎英一さん(72)は「製錬所で食べてこられた直島は苦労知らずの過保護の島。豊島の団結と粘り強さは別世界の話ですよ」と自省を込めて言う。「これは三菱にやってもらおう、それは役場の仕事と、お上任せの依存体質。住民自身が動かないから、連帯感は生まれにくい」。

 「ボランティアが育たない町」と浜田町長もこぼす島の土壌にしかし、この数年、連携の動きがいくつか芽を出した。「やれることは自分たちでという意識の高まり」(大谷智子町議)は、老人給食サービスや環境保全に取り組むグループの発足につながっている。

 製錬事業の不振と人口の急減、パンク寸前の町財政。三重苦にあえぐ直島は、産廃の受け入れに製錬所の存続と町の浮揚を託した。が、産廃処理と活性化が等式で語られる島の空気を「ちょっと違うな」と金光さんは思っている。

 「税収を増やし、人口の流出を食い止め、道路や住宅を良くすることだけが活性化じゃない。心の豊かさ、地域のきずなにぼくらはこだわりたい」

 豊かさとは何なのか。企業城下町の論理がすっとのみ込んだように見える「産廃」は、島民に暮らしのありようを問い掛けてもいる。

島にあるもの

 「産廃撤去に費やした努力を島の発展のために使えていたら…」。今年三月、最終合意を前に豊島を訪れた国の公害調停委員に住民は無念の思いを訴えた。

 完全撤去を勝ち取ったとはいえ、二十五年間に及んだ闘いは生活の糧には結び付かない。「きれいな空気だけでは食っていけん」「ただでさえ道路も学校も立派な直島が産廃でもっと良くなる」と隣の島の活性化をやっかむ声もある。

 再生と振興、自立と活性化。産廃紛争に一つの区切りをつけた豊島には、さまざまな再出発のスローガンが飛び交う。しかし、言葉のバリエーションと裏腹に、次の一手は見えてこない。六年前、県事業で策定した島の活性化計画のうち、実現したのは豊島交流センターの整備だけ。公共工事が島一番の産業といわれる過疎の島では、悲観材料ばかりが目につく。

 「現実は確かに厳しいし、再生の青写真はまだ描けない」と住民運動を引っ張ってきた石井亨県議。「でも、人口や所得だけを物差しにする島の活性化論議はもう意味がない。島が持っているものを自分たちで再評価できるかどうか、島にしかないものを外にどう発信するか。そこが問われていると思う」。

 人と人のつながりの濃さこそ豊島の一番の財産、と尾原義則さん(31)は言う。四年前、豊島小学校に臨時講師で赴任。一年の任期後も島に住みつき、住民会議事務局で運動を支えた。近く島を離れて高松市に帰る尾原さんは「豊島の良さをいつまでも大切にしてほしい」とメッセージを送る。

接点

 島外資本を自らの経済基盤にしてきた直島。島にある素材で生きてきた豊島。隣り合う島は産廃をめぐる今回の選択でも正反対の方向を選んだ。活性化や再生に込める意味合いも異なるが、住民の目は今、足元の共同体に向き始めている。

 その視線の先に「本当の豊かさ」が明確な像を結ぶ時、二つの島の対照的な道筋が接点を持つのかもしれない。模索は始まったばかりだ。

 (第3部おわり)