イチゴ栽培

第3部 豊島と直島12

内側からの活性化選択

 真っ赤に熟れたイチゴが、棚床から垂れ下がる。土を使わず、水や温度、養液の管理まで自動化された「らくちん」システム。豊島で昨年から始まったイチゴのハウス栽培だ。

 「豊島と直島は生き方が違う。豊島は一次産業で生きていくんや」と栽培農家。外部資本の受け入れによって島の活性化を図ってきた直島。対照的に、産廃の不法投棄で傷ついた豊島は、あくまで内部からの再生の道を選択した。

 「豊かだった一次産業をよみがえらせたい」。イチゴ栽培は、そんな住民の思いの象徴でもある。

離島で一番

 これまで豊島の農業を支えて来たのは稲作と酪農だった。

 昔から水に恵まれていたため、離島では珍しく稲作が盛んで、「米を島外に移出するほど生産性も高かった」と農協関係者。今でも耕地に占める水田の割合は、瀬戸内海の島の中で一、二を争う。

 もう一つ、一番だったのが乳牛の飼育頭数。かつては「ミルクの島」とも呼ばれ、「戦後、乳児院ができたのも牛乳が豊富だったから」。豊島酪農組合の藤崎盛清組合長は「乳牛は島のシンボルだった」と説明する。

 農家の多くが稲作とともに乳牛を飼育し、「牛を二、三頭飼っていれば、子供を大学までやれるといわれた」と藤崎さんは好調だった当時を振り返る。

 だが、オイルショックのころを境に酪農も次第に下降線をたどる。

 現在では酪農家は島内に五軒だけ。最盛期には三百頭もいた乳牛は半分以下に減った。「乳価は低迷し、仕事はきつい。次第にやめる農家が増えた」と藤崎さん。数年前には助成金もなくなり、ミルクの島の面影は薄れつつある。

 藤崎さん方でも、息子の耕平さん(24)が取り組むのはイチゴ栽培。「島の新しいシンボルになってもらえれば」と藤崎さんらも期待を寄せる。

産廃イメージ

 「新しい産業で豊島の悪いイメージを一新したい」。四年前に母親の里の豊島に移り住み、ゼロから農業を始めた多田初さん(36)は、イチゴ栽培にかける思いをこう語る。

イチゴの苗の手入れをする多田さん(左)と藤崎さん。「いつかは豊島ブランドで」と夢を広げている=豊島家浦
イチゴの苗の手入れをする多田さん(左)と藤崎さん。「いつかは豊島ブランドで」と夢を広げている=豊島家浦

 栽培面積は四軒で七十アール。農協や県のバックアップを受けながら、試行錯誤を重ねてきた。農業の後継者難は、どこでも深刻な問題だが、イチゴ栽培は多田さんや藤崎さんら若い人も取り組んでいる。

 「島に働き口がないから若い人が残らない。でも、豊島にもこれだけのパワーがあることを示したかった」と多田さん。六月末で終わった初めての出荷は、「初年度としては合格点」。収穫量も販売額もほぼ目標通りで、多田さんらも胸をなで下ろした。

 だが、すべてが順調だったわけではない。

 「豊島のイチゴは産廃で汚染されていないのか」。豊島の名前をつけてないにもかかわらず、マスコミ報道などで知った複数の消費者からこんな問い合わせもあったという。

 産廃の投棄現場からは遠く、もちろん安全性に問題はない。それでも消費者に刷り込まれた「豊島=産廃」のイメージを消すのは容易ではない。

豊島ブランド

 豊島に限らず、一次産業を取り巻く現状は厳しい。「農業や漁業で島が活性化するわけがない」。島の中からもこんな声は聞こえてくる。

 豊島のイチゴに他の産地よりセールスポイントがあるわけでもない。

 「でも食べたら絶対においしいと言ってもらえるはず。高品質なものを作り続ければ、将来性は十分あると思う」。栽培農家に共通しているのは、イチゴを島の再生に結びつけたいとの強い決意だ。

 課題は少なくないが、「自分たちにもできるのでは、という思いが若い人の間に広がってきている」と多田さんは手ごたえも感じている。「いつかは豊島ブランドがプラスになるようにしたい」。

 根付き始めた再生への歩み。来年からは、さらに一軒がイチゴ栽培に加わる予定だ。