二つの布石

第3部 豊島と直島11

「文化」「環境」に再生託す

 直島の南部、備讃瀬戸航路を望む海辺にリゾートの香りを漂わす直島文化村。

 「自然と歴史、現代アートの融合の中で、人間の営みを見つめ直す空間」―をコンセプトにベネッセコーポレーション(岡山市)が開発。中核となるベネッセハウスは、建築家・安藤忠雄が設計した美術館とホテルの複合施設。国際キャンプ場には色とりどりのパオが並ぶ。

 「今でこそ文化の島と呼ばれているが、当時は想像もできませんでした」

 元助役の浜口勝さん(74)は、環境産業の展開を図ろうとする島の姿に、観光振興に歩み出した四十年前を重ね合わせた。

新産業の創出

 観光を町の新たな産業に―。昭和三十五年、島は今と同じような転機を迎えていた。前年の町長選に初当選した三宅親連町長は初の予算編成で、自主的な産業振興を重要施策にかかげ、一つの青写真を描いた。

 <島の北部は製錬所を中心とした経済基盤。中央部は教育と文化の場。南部は美しい自然景観を観光に活用し、町の産業の一つの柱にしたい>

 町長が目指したのは文化的で清潔な観光。三菱に「おんぶに抱っこ」の町政からの脱却だった。

 「観光といえば、熱海の温泉をイメージした時代。ずいぶんあい路はあると思ったが、やらないかんという気持ちになった」と浜口さんは振り返る。

 その担い手として名乗りを上げたのが、大阪の太閤園、箱根の小涌園などを展開し現在、ワシントンホテル事業なども手掛ける藤田観光。四十二年には第一弾として海水浴場やキャンプ場、レストハウスなどを備えた「無人島パラダイス」をオープンした。

 「夏場は観光客の車で渋滞しフェリーに積み残しが出たほど。リゾートホテルやコアラ園建設の計画もあった」と直島町商工会の堀内信之会長(64)。しかし、人気は長続きしなかった。国立公園の規制が新たな開発を阻み、さらに四十八年のオイルショックが追い打ちをかけた。

ジレンマ

 六十二年に撤退した藤田観光の後を受け、ベネッセ(当時の福武書店)が打ち出したのが直島文化村構想。

リゾートの薫り漂わすベネッセコーポレーションの直島文化村
リゾートの薫り漂わすベネッセコーポレーションの直島文化村

 「平成七年の社名変更前から唯一『ベネッセ』という名称を使った施設。よりよく生きるという企業哲学を表現する場です」とは、直島文化村を統括するベネッセの秋元雄史さん。

 初年度七千人だった来場者はここ十年で五倍の三万五千人に増え、ホテルは米国の雑誌に世界でも有数のリゾートと紹介されるまでになった。しかし、文化村を核に、観光を新たな基幹産業に育てようという地元の熱意はいまひとつ伝わってこない。

 「離島というハンディはあるが、結局、直島は三菱の恩恵から抜け切れないということ」。堀内会長は、人任せの島の体質にジレンマを感じている。「製錬所で稼げるから、商売に対する欲がない。生活に困ればいろいろ考えもするんだろうが」

 町は昭和五十六年に海釣り公園、平成三年には海の家「つつじ荘」と独自の観光施設を整備。今年度は民間活力の醸成にも動き出したが、まだ観光物産の研究を始めたにすぎない。

 「文化村が町民の生活を変えることはできないが、町の発展に協力することはできる。これからの町づくりについて、ともに考えていければ」。秋元さんは直島への思いを語る。

世界の先進地に

 昨年八月の直島処理案発表後、ベネッセには常連客からメッセージが届いた。「美しい風景はどうなるのか。産廃を受け入れるならもう行きたくない」。

 事業への影響についてベネッセも悩んだが、福武総一郎社長の腹は決まっていた。「文化の面では世界に通じる島にするから、町は世界に知られるリサイクル先進地となるよう頑張ってほしい」。

 「現実問題として客離れはあるかもしれないが、リサイクルの島として新しい価値観を発信できれば共生することはできる」と秋元さん。二十一世紀のキーワードといわれる「文化」と「リサイクル」。それは直島再生のキーポイントでもある。