漁師の子(1)

第2部 中村由信の世界9

先生に寂しさぶつけた

腕白少年の“指定席”は目の届きやすい最前列。だが、灯台もと暗し(昭和39年、坂出市瀬居島)
腕白少年の“指定席”は目の届きやすい最前列。だが、灯台もと暗し(昭和39年、坂出市瀬居島)

 「これ、載せるの? いややわあ」。写真集を手に綾サダ子さん(73)は「きつーい教師と思われる」と苦笑いした。

 放課後の教室。少年がうなだれている。いたずらをたしなめている先生が三十六年前の綾さんだ。

 「学校一のやんちゃ。でも、こんなにしおらしいところがあって。天衣無縫のかわいい子でした」

 昭和三十九年、坂出市の瀬居島。中村由信は「漁師の子」をレンズで追って、綾さんが受け持つ一年生三十四人の教室にやってきた。もう一枚の写真、授業そっちのけで足の裏をのぞき込んでいるのが“主人公”の腕白少年。

 「席にいないと思ったら、たいてい学校の裏山。メジロを追っかけるのが大好きで」。かと思えば、職員会議の最中に針金につるした魚を持ってきて「先生、やる」と鼻先で揺らす。

 今なら問題児扱いされそうな腕白ぶりも「あのころは負けず劣らずの個性派ぞろい。ワカメ採りの名人に潮干狩りの達人。教室でじっとしている子のほうが珍しかった」。

友達にいたずらをして、先生からこってりお説教(昭和39年、瀬居島)
友達にいたずらをして、先生からこってりお説教(昭和39年、瀬居島)

 綾さんには、渡海船で通った瀬居の三年間が教師生活で一番印象深い。「大半が漁師の子弟。みんな情愛が深くて」。仕事に追われ、両親は留守がち。満たされない甘えと寂しさを教師にぶつけてくる。そんな子供たちを「全身で受け止め、包み込む毎日でした」。

 教室の右端に映っている岡野繁喜さん(41)は小学二年の秋、文集にこんな詩をつづっている。

 <おじいちゃんが しんだ。/ぼくは、「おじいちゃん、おじいちゃん」とよんだ。/おじいちゃんは、だまっていた。/ぼくは、ひとりぶらんこにのった>

 はえ縄漁のシーズン、両親は一カ月も帰らない。繁喜少年は病弱な祖父を世話しながら家を守った。初めて直面した肉親の死。一目散に学校へ走り、遠足でガランとした校庭でぶらんこを揺らした。

 「真っ先に先生に会いたいと思ったんやろうね。よく覚えてないけど」。岡野さんの胸にはおぼろげながら幼い思慕の記憶が宿っている。

 「宿直室が放課後の遊び場。子供たちと接する時間がたっぷりあった」。綾さんの同僚教諭だった福井敬二さん(72)は三日に一度の泊まりを懐かしむ。

 へき地児童の学力向上に燃えて赴任したが、「漁を手伝い、弟妹の世話をする子供たち」の姿に、妙な気負いはいつしか消えていた。保護者ものんびりしたもの。家庭訪問に行くと「宿題あんまり出さんといて」と注文がついた。

パソコンに熱中する瀬居小の2年生。漁師の子弟は一人もいない
パソコンに熱中する瀬居小の2年生。漁師の子弟は一人もいない

 「漁師の子」の撮影が終わった昭和三十九年秋、瀬居の海はにわかに慌ただしくなる。番の州の埋め立て工事が始まり、漁業の島は一変しようとしていた。

 「高校、大学に進むようになったのはこの子たちから。島が島でなくなって子供たちの生活も保護者の意識もずいぶん変わりました」と綾さん。

 掲載した二枚の写真を、中村は後に好きな作品に挙げている。子供が子供らしく輝いていた時代。その残照をレンズで切り取った自負と寂しさを中村も感じていたに違いない。