郵便船

第2部 中村由信の世界7

過疎の島に届ける安心

都会からの便りを届ける川越さん。ついつい座り込み、世間話に花を咲かせることも多かった(昭和30年代初め、屏風島)
都会からの便りを届ける川越さん。ついつい座り込み、世間話に花を咲かせることも多かった(昭和30年代初め、屏風島)

 無人島を含め大小二十七の島からなる直島諸島。直島郵便局は、管内に日本一たくさんの島々を持つといわれる小さな特定郵便局。

 直島を除くと、フェリーもなければ、もちろん橋もない。そんな島々を結ぶ唯一の定期便は今も昔も郵便船。川越喜一さんは戦前、戦後を通して島民に「ひげの郵便屋さん」と慕われた郵便船の船長だ。

 写真が撮られたのは、川越さん引退間近の昭和三十年代初め。当時はまだ有人島が多く、配達エリアは十島にもおよんだ。漁業が盛んな牛ケ首島や屏風島、採石場があった井島、寺島、局島…。そこには約八十五軒の暮らしがあり、郵便を待つ人々がいた。

 「川越さん? ああ覚えとる。島の人はみんな世話になった」というのは、夫婦で漁業を営む屏風島の森口久信さん(81)。

 「島にはまだ電話がなく、よそからの便りといえば郵便だけ。郵便船が毎日持って来てくれるから、こんな小島でも安心して暮らせた」と森口さん。少々雨風が強くても、海が時化(しけ)ない限りは船を走らせる。川越さんは島の生活に欠かせぬ存在だった。

「さて次は牛ケ首じゃな」。黒々としていた自慢のひげも、いつしかロマンスグレーに(昭和30年代初め)
「さて次は牛ケ首じゃな」。黒々としていた自慢のひげも、いつしかロマンスグレーに(昭和30年代初め)

 紺色の制服制帽に革製の大きな配達カバン。胸まで伸びた自慢のあごひげを潮風になびかせ、さっそうと船を操る姿を、前直島郵便局長の大谷忠義さん(67)は覚えている。

 まだ、港がある島は少なかったが、船が着く島では、歩いて家々を回る。配達の途中、ついつい立ち止まり世間話に花を咲かせることも多かったという。

 「島では郵便物を集めるのも仕事の一つ。郵便以外の頼まれごとも多かった」と大谷さん。役場に出す書類から、農協での買い物、銀行への振り込みまで。郵便屋さんはちょっとした「便利屋さん」でもあった。

 五十七年、郵便船は郵政事業の合理化に伴い、外部委託となった。

 「郵便船がなかったら宅配便も配達できんのに」と大谷さん。都会の論理が優先され、へき地はいつも割を食うと嘆く。

地図

 現在、島の郵便船に乗るのは直島郵便局OBの花岡幸夫さん(56)。川越さんのあと、五年ほど郵便船に乗ったことがある。外部委託になってからは三代目の船長だ。

 午前十時前、島に配る郵便を携え、エンジンをかける。今日の配達は三十通。「今の船は時速二十ノット。昔の木造船と比べれば速さは四倍かな」。

 島では今も一軒一軒歩いて回るが、近年は独り暮らしのお年寄りの家を特に気に掛けているという。

 「毎日のことだからね。元気かどうかは顔を見れば分かる」と花岡さん。島でも携帯電話を見掛けるようになったが「郵便船の仕事は変わらんよ。島の人は大事にしてくれる。こっちも信頼にこたえんと」。

「きょうの漁はどうじゃった」。港で会った漁師に、はがきを手渡す花岡さん=直島町屏風島
「きょうの漁はどうじゃった」。港で会った漁師に、はがきを手渡す花岡さん=直島町屏風島

 しかし、島の姿は確実に変わってきている。採石業の衰退は多くの無人島を生み、現在、人が住む島は三島で二十三世帯。郵便物も、都会に住む家族からの便りは減り、ダイレクトメールのような“無機質”なものが目立つようになった。

 「昔は一日仕事だった配達も、今は半日で済む。楽になったのはいいが…」。

 花岡さんは、変わらぬ島民の人情の裏で、一抹の寂しさを感じている。