駐在さん(上)

第2部 中村由信の世界5

頼り頼られきずな強く

かつては自宅での結婚式が当たり前。こんな光景もあちこちで見られた(昭和35年、多度津町佐柳島)
かつては自宅での結婚式が当たり前。こんな光景もあちこちで見られた(昭和35年、多度津町佐柳島)

 島の結婚式。花嫁を見ようと人垣をつくる近所の主婦や子供たち。招待された駐在さんが記念撮影のカメラを構えている―。

 昭和三十五年、中村由信が選んだテーマは「島の駐在さん」。多度津町沖に浮かぶ佐柳島の児玉喬久巡査=当時(52)=の駐在所日記だ。

 冒頭の写真は、実は本当の結婚式ではない。素材がなく新婚夫婦をモデルに仕立てたものだが、中村が写し取りたかったのは、駐在さんと島民の素朴で温かな信頼関係だったに違いない。

親子連れと話す白川巡査長。4月からは子供の姿が島から消える=高見島
親子連れと話す白川巡査長。4月からは子供の姿が島から消える=高見島

 「住民からいろんな問題を持ち込まれる一方で、入学式などの学校行事や結婚式にも呼ばれてましたよ」。半世紀にわたって島の郵便局に勤める十川光晴局長(77)は、島民と駐在さんの関係をこんなふうに説明する。

 駐在さんは、いわば島の名士であり、頼れる存在。そしてよき隣人だった。当時はもちろん家族同伴で、児玉巡査も妻子と赴任。子供は島の学校に通っており、島民も地域社会の一員として親しみを持っていた。

 「やっぱり家族連れの方が島に溶け込みやすい。私もそうでしたよ」。昭和四十年代半ば、佐柳島駐在所で勤務した丸亀市の岡田厦喜男さん(61)は当時を思い起こして言う。

 「ここで辛抱できたら、どこでもやれると言われてねえ」。多度津港から船で一時間。不便さは想像以上だったが、「夫婦で近所にもらいぶろに行ったり、農家の人が駐在所の前に野菜を置いてくれることもありました」。住民との打ち解けた日々を懐かしむ。

地図

 だが、時代とともに駐在所も単身赴任が目立つようになる。

 現在の佐柳島を管轄する高見島駐在所の白川一夫巡査長(48)も家庭の事情で単身。「なるべく島でいようと思ってますが、多度津署での勤務もあり、なかなか難しいのが実情」と打ち明ける。

 五日に一回は多度津署での泊まり勤務があり、非番や休日を入れると、島でいられるのは週に二、三日。佐柳島に寄るのは週一回程度で、それも船の都合で数時間いるのがやっと。

 「気さくでいい駐在さん。いつもいてくれれば安心だが、仕方がない。年寄りと猫ばかりの島じゃから」。佐柳島の住民もあきらめの表情をみせる。

子供の相手をする駐在さん。島の名士であり、よき隣人だった(昭和35年、佐柳島)
子供の相手をする駐在さん。島の名士であり、よき隣人だった(昭和35年、佐柳島)

 全国と比べても県内の駐在所は単身赴任の割合が高い。子供の教育や日常生活の不便さを考えればやむを得ない面もあるが、「家族ともども地域に溶け込むのが理想」(県警地域課)には違いない。

 県警も今春の異動で希望者を優先的に配置し、駐在所の家族同伴を増やしてはいる。が、やはり島では数少ないのが現状だ。

 二十一日開かれた高見保育所の卒園式。来賓席には白川さんの姿もあった。昔に比べて住民との結び付きが薄れたとはいえ、今も島の「名士」であることに変わりはない。

 しかし、それもこの春まで。四月からは島で五人しかいない子供たち全員が「本土」に転居し、学校や保育所は休校・園となる。佐柳島でも子供がいなくなって久しい。

 駐在さんが招かれる行事やお祝いごとは、島ではもうないのかもしれない。