お医者さん(下)

第2部 中村由信の世界4

病院が港にやってくる

子供好きの小川一三医師。赤ちゃんがやってくると、好々爺(や)ぶりに拍車がかかる(昭和36年、福山市走島)
子供好きの小川一三医師。赤ちゃんがやってくると、好々爺(や)ぶりに拍車がかかる(昭和36年、福山市走島)

 朝八時半、診療船「済生丸」は高松港から西へかじを取った。乗り込んだのは済生会香川病院の真鍋正博医師(44)と放射線技師、看護婦ら六人。

 「きょうは瀬戸大橋の三島。島の子供たちに一年ぶりに会える」。小児科医の真鍋さんは過去の診療記録をパソコン画面に呼び出した。

 波静かな備讃瀬戸を約一時間。櫃石島の港に係留されるのを待ちかねたように伊勢彰子さん(27)が二人の子供を連れてやってきた。生後七カ月の女の子を抱いている。

 「できたんやね、二人目。おめでとう」。真鍋さんは身体測定や診察の後、「発育がちょっと遅れてるようで」と気をもむ彰子さんと三十分も話し込んだ。

診療を終えて、ゆっくりふろにつかる。島に定住しているから味わえる至福のひと時(昭和36年、走島)
診療を終えて、ゆっくりふろにつかる。島に定住しているから味わえる至福のひと時(昭和36年、走島)

 「育児についてじっくり相談できた。不安が消えました」と彰子さん。「橋はあっても、子供二人を連れて坂出の病院まで行くのは大変。年に一、二回でもやってきてくれるのは助かります」。 済生丸の就航は昭和三十七年。社会福祉法人・恩賜財団済生会(東京)の創立五十周年を記念して香川、愛媛、岡山、広島四県をエリアに始まった。各県済生会病院が持ち回りで“無医島”を中心に巡回する。

 診療は済生会の創立精神に従い、原則無料。年間の運航日数は二百三十日、六十五島を巡り、受診者は延べ一万一千人に上る。

 名誉院長の美馬恭一さん(78)は済生丸が初めて島を訪れた日のことを今も忘れない。巡回先は土庄町の小豊島。人口四十人余り、医師と縁遠い島は「病院がやってくる」と大変な歓迎だった。

 「港が貧弱で接岸できなくてね。沖に停泊した済生丸に伝馬船でやってくる。島中の人が来たんじゃないかな」

 四年前に船を下りるまで三十四年間、美馬さんは済生丸から島の医療を見つめてきた。診療から検診へ、済生丸の役割はずいぶん変わったと言う。「橋が架かり、高速艇が島を結び、陸の病院に通いやすくなった。治療、投薬より早期発見の検査を望む住民が多くなりました」。

地図

 高齢化が進み、最近ではむしろ「訪問看護や介護」を求める声が強いが「今の体制で手いっぱい。余裕がない」のが実情だ。

 四月から県の診療船が廃止され、検診業務を肩代わりするスタッフには負担増への不安ものぞく。「患者とのコミュニケーションを大切にしたいのに、時間に追われて三分診療になりかねない」(真鍋さん)。

  「離島医療は本来、国や自治体の仕事。済生丸が行政のすき間を埋めてきた格好だが、いつまで続けられるか」と美馬さんは案じる。

38年目の春を迎えた診療船済生丸。橋が架かった島でも巡回を心待ちにしている住民は多い=坂出市櫃石島
38年目の春を迎えた診療船済生丸。橋が架かった島でも巡回を心待ちにしている住民は多い=坂出市櫃石島

 船を維持するのに年間約一億三千万円。国や関係四県の補助金はその半分にも満たず、不足分を本業の利益で穴埋めしている。現在の船が更新期を迎える十数年後、存廃論議が持ち上がるのは避けられない。

 美馬さんは、医療も含めた総合的な生活対策が島には必要と訴える。「このままだと瀬戸内海は無医島どころか、無人島だらけの海になってしまう」。