カアチャン

第2部 中村由信の世界17

橋脚の島でたくましく

仕入れた食料品やプロパンを港から運ぶ岩本美鈴さん。橋の開通後しばらくは船便で荷物が届いた(昭和63年、坂出市岩黒島)
仕入れた食料品やプロパンを港から運ぶ岩本美鈴さん。橋の開通後しばらくは船便で荷物が届いた(昭和63年、坂出市岩黒島)

 坂出市岩黒島。港のそばで民宿と雑貨店を切り盛りする岩本美鈴さん(46)の朝はめっぽう早い。床を離れるのは二時半。夫の朝ごはんと弁当をこしらえ、店の帳面付けをして再び寝床へ。横になったのもつかの間、五時すぎには宿泊客の朝食の準備にかかる。

 "二度寝"の睡眠は計四時間。こんな毎日がすっかり慣れっこになった。「まとめて寝ると体調悪いもの」。

 中村由信が岩黒島を訪ねたのは瀬戸大橋開通直後の昭和六十三年五月。快活に立ち働く美鈴さんに、たくましい「日本女性の原点」を見た中村は「橋脚の島のカアチャン」の表題で写真誌に発表している。

 「あんた、いつ体を休めるのって、びっくりしとられたね」。中村の目を丸くさせたカアチャンの働きぶりは今も変わらない。

配達先で忙中閑の世間話。何がおかしいのか大笑い(昭和63年、岩黒島)
配達先で忙中閑の世間話。何がおかしいのか大笑い(昭和63年、岩黒島)

 宿泊客を送り出した九時すぎ、玄関先に郵便車が着いた。新聞と郵便物の配達も美鈴さんの大切な日課。家ごとに仕分けして輪ゴムをかける。実に手早い。「三十四軒、九十七人。全員の名前が頭に入ってるから」。両腕に抱え、坂道だらけの島内を一巡。足の速さも競歩選手並みだ。

 配達が済むと、息つく間もなくワゴン車に。「次は仕入れ」。橋を渡って下津井の卸店へ。戻るのは昼前。店番をしながら、掃除と洗濯、客の出迎えに夕食の用意。日によって畑仕事や水道の検針、灯油の宅配、義父母の通院の送迎も。分刻みの慌ただしさで一日が暮れる。

 悩んでるヒマもないと突っ走ってきた美鈴さんだが、ここ四、五年、宿泊客の減少に頭が痛い。

 「ひところの半分。この不景気じゃ仕方ないけど」。恨めしいのは橋の通行料金。坂出北インターと岩黒島を普通車で往復すると五千四百円。特別割引になる二年前までは八千百円だった。「宿泊費を安くしても通行料が同じくらいかかる。お客さんにはやっぱり抵抗があると思う」。

 自治会長の岩本嘉代治さん(66)も口をとがらせた。「地元住民は半額じゃが、まだまだ高い」。

 周囲一・七キロの小さな島に以前は一台もなかった車が約四十台。船の定期便も消えて、橋とマイカーが生活の足になった。与島、櫃石島を合わせた三島の住民が払う通行料は年間約六千万円。月額十万円を超す人もいる。負担軽減を何度陳情しても、公団側はなしのつぶてだ。

新聞と郵便物の配達は美鈴さんの変わらぬ日課。頭上のループ橋も島の風景に溶け込んだ=岩黒島
新聞と郵便物の配達は美鈴さんの変わらぬ日課。頭上のループ橋も島の風景に溶け込んだ=岩黒島

 美鈴さんは近所のお年寄りをよく仕入れの車に乗せて、児島の病院まで送る。「高い料金の自衛手段よ。みんな家族みたいなものだから」。橋ができて人情が薄れたと不平を鳴らすお年寄りもいる。美鈴さんにも思い当たるふしはあるが、それでもこの島が好きだ。

 「町に比べたら助け合いの習慣がたくさん残っていて、住みいいよ。ここで暮らしてみたら」。名前通りの鈴を転がすような声で美鈴さんは笑った。

 中村由信がレンズで切り取った島びとの風景。その多くが失われた。効率至上の陸の論理に絡めとられ、島は今、過疎と高齢に揺れながら二十世紀を見送ろうとしている。

 それでも、島にはまだ不思議な明るさがある。共同体を支え、守ろうとしている人たちの存在が瀬戸内の風光と溶け合って、穏やかな光源をつくっているからだろう。光源が失われない限り、「中村由信の世界」は過去の遺物ではない。

(第2部おわり)