漁師の子(4)

第2部 中村由信の世界12

地域のきずな守りたい

父の肩車で秋祭りのあばれみこしを見物。地続きになった今も、住民の連帯を確認する場に変わりはない(昭和39年、坂出市瀬居島)
父の肩車で秋祭りのあばれみこしを見物。地続きになった今も、住民の連帯を確認する場に変わりはない(昭和39年、坂出市瀬居島)

 瀬居の春は戎(えびす)さんの祭礼で始まる。

 花曇りの二日、竹浦の戎神社に地区民約四十人が集まった。向こう一年の豊漁を祈願したあとは直会(なおらい)の宴。長机に仕出し弁当が並ぶ。

 「昔は、魚の煮付けや作りを出しおうてな。同じ漁師でも家々で味付けが違う。そこが楽しみで」と山本寿春さん(64)。

 昔といっても素朴な手料理が消えたのは、つい二年前。会社勤めが増え、持ち寄る魚のない住民は祭礼に出づらくなった。「参会者が減る一方。何とかせなと弁当に。長い伝統も時代の流れには逆らえん」。

秋祭りの前日、父に頭を刈ってもらう。少々痛いが、お小遣いの手前、我慢(昭和39年、瀬居島)
秋祭りの前日、父に頭を刈ってもらう。少々痛いが、お小遣いの手前、我慢(昭和39年、瀬居島)

 地続き後も漁村の習俗をとどめてきた竹浦が今、急速な“新旧交代”の波に洗われている。六十八戸のうち漁師は二十戸。担い手の減少に高齢化が加わり「昔ながら」を守るのは難しい。

 「秋祭りの船が頭痛の種でなあ」。自治会長の大前実さん(71)は半年先の予定表にもうため息をついている。瀬居の“華”とうたわれる秋の大祭。近年、海上渡御の船の確保がままならない。「島だったころは、みこし船を出すのが漁師の誉れ。くじびきで決めるほど希望者が多かったんじゃが」。

 竹浦の割り当ては三隻。簡単に調達できそうな数だが、祭り船を出せば化粧直しに四、五日かかる。「漁を休んでまで」とドライな辞退も。年を追って大前さんが頭を下げる回数が増える。「今年も難儀しそうやが、瀬居の誇りを消すわけにはいかん」。

 竹浦の裏山のいただきに石のほこらが鎮座している。通称「しもんざきさん」。寛政四(一七九二)年、島の領有をめぐる紛争が持ち上がり、漁民は山上で神々の加護を祈って末代までの代参を誓った。

 「結果は勝訴。その誓いを二百年間、律義に守ってきたんですわ」と中西修造さん(66)。代参は伊勢、出雲、石鎚など毎年八カ所前後。講中が「お集銭」を出し合い、数人の代表者を送り出す。

 「物見遊山を兼ねた、この上ない娯楽」だった講中もここ数年、「年を寄せた」と脱会が相次ぎ、先細り一途の様相。「近所の人と一緒は気詰まり」と帯同を敬遠する声もある。「水くさくなった」と中西さんは今昔の感に堪えない。

 同じ講でも、船や家作の資金を出し合う頼母子講は三十数年前に消えた。番の州の埋め立て補償がきっかけだった。世話役を中心に信頼で結ばれていた互助組織の分解。「今思えば、人間関係が味気なくなる先触れ」(大前さん)だったのかもしれない。

竹浦(後方)の移り変わりを見守ってきた「しもんざきさん」に地域の安寧を祈る=瀬居
竹浦(後方)の移り変わりを見守ってきた「しもんざきさん」に地域の安寧を祈る=瀬居

 「漁師の子」の撮影から三十六年。島でなくなった瀬居は、暮らしの風景や住民の意識も大きく変えた。

 陸続きの功罪を計る物差しはむろん人によって違うが、漁師の久保義夫さん(45)は「プラスの方が多いよ」と言う。「人口がほとんど減ってない。廃校の心配も今のところないし」。離島の深刻な過疎を耳にするたび「瀬居はまだ恵まれとる」と思う。

 久保さんは二年前、地区の民生委員を引き受けた。消防団班長はもう十年。「世話役ばっかりで大変」とぼやきながら、すぐに真顔に戻った。「地域をバラバラにせんように僕らが頑張らんとな。先祖にも子供らにも申し開きが立たん」。