名もなき人へ

第2部 中村由信の世界1

愛惜込めた写真集

 昭和三十年代、瀬戸内海の島々を憑(つ)かれたように訪ね歩く写真家がいた。

 中村由信。直島町出身。写真集「瀬戸うちの人びと」(四十年刊)は八年間に及ぶ撮影行の結晶だ。とびらを開くと、名もない島びとたちの日常がモノトーンの世界から生き生きとよみがえってくる。

取り上げた赤ちゃんを世話する産婆さん。日増しに成長する姿に笑顔がはじける(昭和33年、直島)=「瀬戸うちの人びと」から
取り上げた赤ちゃんを世話する産婆さん。日増しに成長する姿に笑顔がはじける(昭和33年、直島)=「瀬戸うちの人びと」から

 漁師の子、お医者さん、産婆さん、駐在さん、郵便屋さん…。登場人物の暮らし向きは決して楽ではない。なのに、不思議に湿っぽさがない。時に底抜けに明るく、「ユーモラスな叙事詩」(写真家・伊藤逸平)の趣さえ帯びている。

 寄り添うことの安心感―民俗学者宮本常一は島びとの明るさの奥に共同体のきずなを見ている。<まだお互いを信頼しあえる何かが残っていることによって、その生活が支えられている>。子供も年寄りも島外からやってきた人も地域や家族の中でそれぞれ役割を持ち、助け合う。

 きずなはしかし、既にほころびかけていた。漁業にかげりが見え、過疎の波が足元を洗っている。島に生まれ育った中村は消えゆくもののにおいを鋭くかぎとり、愛惜を込めてレンズに収めた。

 瀬戸大橋が開通した昭和六十三年、中村の視線は再び瀬戸内海に向かう。「新しい瀬戸うち家のアルバムを編みたい」。東京から古里へ、幾度も足を運びながら、撮影は遅々として進まなかった。同行の知人に「以前のような写真はもう撮れない」と漏らしている。ファインダーの向こうに、かつて見た輝きを探すのは難しかったのだろう。単発の作品を残しただけで平成二年、六十五歳で病没した。

 「島の変わりように、落胆しましてね。でも、また歩きたいと。愛着はひとしおでしたから」。妻田鶴子(66)=東京都小平市=は膨大な形見の作品、それと等量の追憶の中に生きている。

愛用のカメラを手にポーズをとる、ありし日の中村由信
愛用のカメラを手にポーズをとる、ありし日の中村由信

 <島々は時間と空間から自由であり、人は自然に暮らし、それゆえに幸福なのである>。昭和三十七年、瀬戸内海を旅した作家ドナルド・リチーの回想だ。幸福な時はしかし、あまり残されていなかった。

 漁業の衰退と高度成長。背中合わせでやってきた大波が、若者を次々に島からさらい、世代や地域を分断した。過疎の島では今、老人の繰り言だけが響いている。「瀬戸うちの人びと」はもう、失われた過去の物語にすぎないのだろうか。

 三十数年前、中村が歩いた島へ向かった。

(敬称略)