曼荼羅寺の不老の松(善通寺市)

2001年1月29日

千代を歩む緑の菅笠

 初めて見た人は驚くだろう。緑色の大きな菅笠(すげがさ)が地をはっているようだ。「吉原のシンボルですよ。私が子供のころから全然変わらないねえ」。誇らしげにそう解説してくれたのは、善通寺市吉原町の元市議竹森義治さん(84)。

 弘法大師空海生誕の地として全国にその名を知られる善通寺市は、真言宗善通寺派総本山の善通寺をはじめ、至る所にゆかりの寺がずらりと肩を並べる。四国霊場第七十二番札所の曼荼羅寺(高吉清順住職)もその一つ。境内に足を踏み入れ、小さな橋を渡ると、右手に菅笠をかぶせたように地面を覆う見事な松が目に入る。県指定自然記念物、大師のお手植えと伝えられる「不老の松」だ。

菅笠を地面に伏せたように広がる不老の松。訪れる参拝者も驚きの表情で立ち止まる=善通寺市吉原町
菅笠を地面に伏せたように広がる不老の松。訪れる参拝者も驚きの表情で立ち止まる=善通寺市吉原町

 曼荼羅寺は空海の一族である佐伯家の氏寺として推古四(五九六)年に建立され、当初は世坂(よさか)寺と称していた。大同二(八〇七)年に空海が唐から帰国した後、唐の青竜寺を参考に堂塔の造営に着手。本尊の大日如来を安置するとともに金剛界・胎蔵界の両界曼陀羅(まんだら)を書写して安置したのにちなみ、寺名を現在の曼荼羅寺に変えたとされる。

 境内にどっしりと鎮座する不老の松。高さ約四メートル、頭頂部にあたる「笠」は東西約十七メートル、南北約十八メートルにも及ぶ。同寺が発行する案内パンフレットに「曼荼羅寺と改称された記念に大師がお手植えあそばされた」とあるように、推定樹齢は約千二百年。はるかな時空を経てなお、青々とした樹勢を保ち続けている。

桜の木のたもとには西行法師が詠んだ歌を記した句碑もある=善通寺市吉原町
桜の木のたもとには西行法師が詠んだ歌を記した句碑もある=善通寺市吉原町

 テレビゲームもスポーツ少年団も習い事もなかった時代。お寺の境内は子供たちの格好の遊び場だった。中でも特徴を持つ寺は人気スポット。不老の松を擁する曼荼羅寺は日暮れまで子供たちの歓声が響いていたことだろう。懐かしい少年時代、黄金の時間。「とにかく松の周りで走り回っていた。それだけはよく覚えてるねえ」。竹森さんの追憶に思いを重ねる人も多いはず。私自身もそうだ。

 西讃地域の住職で九九年夏に立ち上げた「夢グループ無我」。これまで二回にわたって講演会を開き、昭和という時代が残した物質文明の傷跡を検証し、心の豊かさを取り戻すための処方せんを探っている。

 昨夏の講演会では教育問題について示唆に富む発言が飛び交っていた。「そういえば、寺の境内で遊ぶ子供をめっきり見なくなりましたねえ」。住職の一人がポツリと言った。「寺の側から呼び掛け、憩いの場としての役割を取り戻すべきではないでしょうか」と続けると、フロアから大きな拍手が沸き起こった。

 薄れゆく地域社会のきずな、荒れる学校、外に出ない子供たち。今年は成人式での飲酒騒ぎという困った話題も。この地で悠久の時を刻む不老の松は、変わりゆく時代をどんな思いで見つめているのだろう。

 常緑の木である松は季節を選ばない。厳しい夏の暑さ、凍(い)てつく冬の寒さにも負けずに青々と茂る。「不老」の名に恥じることない姿。物言わぬ名木は、その雄姿で変わらないことの大切さを訴えかけている。

文・黒島 一樹(観音寺支局) 写真・久保 秀樹(写真部)