モモ畑(飯山町楠見池周辺)

2000年4月3日

桃源郷維持に若い力

 ウメ、モモ、サクラ―。菜の花の黄色に淡いピンクが広がる車窓の風景は、讃岐路に春の訪れを予感させる。県道善通寺府中線。県内生産の四割を誇るモモの産地・飯山町楠見池周辺のモモ畑も四月上旬になれば、一面のピンク色で染まる。

モモ畑と飯野山。町は昭和61年から「讃岐富士と桃源郷のまち」を掲げるが、年々モモ畑は消えていく(JA香川県提供)
モモ畑と飯野山。町は昭和61年から「讃岐富士と桃源郷のまち」を掲げるが、年々モモ畑は消えていく(JA香川県提供)

 「今年は昨年より、一週間ほど花は遅い。四月の第二日曜日ぐらいが見ごろ。ただ、三十年前と比べると、モモ畑は見た目で半分ぐらい。ずいぶん寂しくなった」

 栽培農家の山田弘和さん(62)がつぶやくように、農家の高齢化と後継者不足は年々、春の見慣れた風景を小さくした。「年がよると作業はつらい。が、せめてあと十年は頑張りたい」とも。

 飯山町のモモ栽培は明治十一(一八七八)年、坂本村の初代村長でのちに衆議院議員も務めた宮井茂九郎(一八五三―一九〇六年)が、飯野山南麓に果樹園約五ヘクタールを開墾したのが始まりだ。

モモを出荷する昭和15年ごろの様子。木箱を積んだオート三輪が14台ほど連なる(飯山町提供)
モモを出荷する昭和15年ごろの様子。木箱を積んだオート三輪が14台ほど連なる(飯山町提供)

 ピークは昭和二十年代から三十年代にかけて。四十五年ごろには隣の綾歌町分も含め、約百五十ヘクタールで千五百トンほどの収穫があった。現在では約百五十の農家が百ヘクタールほどを栽培、収穫は五百トン程度と面積、収穫量では衰退の一途をたどる。

 危機感を抱く地元JA飯南(現JA香川県飯南支部)では「いい品を安定して」をモットーに、魅力あるモモづくりを推進。四年前から新規就農者を対象にモモの栽培管理に関する学習会を開いたり、販路拡大のため、東京市場に進出。「飯山のモモ」というブランド力の強化に躍起だ。

 そんな中、新たにモモづくりを始めた人がいる。元プロ野球選手で平成八年、会社勤めを辞した長友安広さん(58)もその一人。長友さんは「生活の基盤づくりの面もあるが、モモづくりに励んでいた両親を見て育った。荒れる一方のモモ畑を何とかしたい気もあった」とふるさとへの思いを話す。

ここ2、3日の陽気でピンクの花が咲き始めたモモ畑。昨年より1週間ほど、一昨年より10日ほど遅い開花だ=飯山町川原
ここ2、3日の陽気でピンクの花が咲き始めたモモ畑。昨年より1週間ほど、一昨年より10日ほど遅い開花だ=飯山町川原

 若い力も台頭している。林倫生さん(24)は高校卒業後、迷わず、農業の道を選んだ。「自然の中で土いじりがしたい」。祖母と二人で一・五ヘクタールほどのモモ畑を切り盛りする林さんはこう話し、「モモの花を見てきれい、食べてうまいだけではダメ。モモづくりを体験してもらうことが後継者育成の近道」と、廃園となった畑を体験と交流の場として提供してはと提案する。

 少ない栽培面積で高収益を目指す方針のため、「モモ畑は今後も減少するか、よくても現状維持」と町産業振興課。労働の軽減と効率化を図るため、急斜地を平準化したり、水田をモモ畑に転換する施策にも取り組んでいるため、モモ畑はかつてのイメージとはずいぶん異なって映る。

 ふるさとを思う人や若い力が讃岐路の春にどんな花を咲かせるのか。「讃岐富士と桃源郷のまち」では二日、咲き始めたモモの花の下を歩く催しが今年も行われた。

文・山下 和彦(報道部) 写真・山崎 義浩(写真部)