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| 昔懐かしい釜で炊きあがった茶がゆ。貴重な米を食い延ばすために先人が生み出した知恵の結晶だ=詫間町志々島 |
詫間町役場前の宮の下港から定期船に乗ると、約二十分で塩飽諸島の一つ、志々島に到着する。周囲四キロの小さな島には、発酵させた茶を煮出して作る「茶がゆ」を食べる習慣が今も残されている。それは、貧しかった漁村の暮らしが生んだ生活の知恵だという。
今回、島のおばさんたちが腕によりをかけて茶がゆを振る舞ってくれた。「私らが一番貧しかったころの食べ物かねえ。そりゃあ毎日食べてたよ」。食料品店を営む上田富子さん(77)が言うと、「そうそう。おいもさんやお豆さんを入れてね。季節ごとに具が違うんだよ」と話の輪が広がる。
田んぼがなく米が採れない塩飽の島々では、古くからこの茶がゆを常食としていた。米は魚を売って手に入れる貴重品。茶がゆは米を「食い延ばす」ための手段だった。男は漁、女は畑仕事という日常の風景。
飯時には具だくさんの茶がゆをかき込み、仕事に精を出した。中身の米はわずか。「日に四回食べるのが普通だったよ。なんせすぐに腹が減るんだから」。おばさんたちが口をそろえた。
作り方はシンプル。釜に湯を沸かして高知県大豊町産の「碁石茶」を煮出し、米とサツマイモを入れて三十分ほど煮込めば出来上がり。調味料による味付けは一切しない。碁石茶の深い渋みが唯一の風味だ。
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| 茶がゆの「だし」となる高知県大豊町産の碁石茶 |
碁石茶は茶葉を乳酸発酵させて作る珍しい茶。色は黒く、ウーロン茶のような香りがする。水道が普及する以前、塩分を含んだ井戸水はおかゆには向かなかったらしく、試行錯誤の末に碁石茶を煮出すやり方に落ち着いた。まさに先人の知恵の結晶というわけだ。
貴重な米を食い延ばすために考え出した茶がゆ、回数でカバーするため一日四度の食事。「そんな時代もあったんよねえ」と上田さん。何とも淡泊な味わいだが、飽食の時代に育った私たちには染みる味だ。腹も胸もいっぱいになった。
十一月も末になると、吹きつける潮風は冷たい。現在、志々島の人口は五十人足らずで、ほとんどが高齢者。往時には千人を超す住民でにぎわった島も、押し寄せる過疎化の波は避けるべくもない。が、急な坂道をすれ違う人たちの表情に暗さはない。ここを終(つい)の住処(すみか)と決めた強さだろうか。
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| 炊きたての茶がゆをフーフー吹きながら頬張る。独特の渋みが口中に広がっていく=詫間町志々島 |
定期船の本数は少ない。帰り道、宮の下港行きには時間が合わず、お隣の粟島経由で須田港へ着いた。宮の下港まで歩くには骨が折れる。車で見送りに来ていた初老の男性に声を掛けると、快く乗せてくれた。聞くと粟島の公民館長さんだという。「志々島に行ってたんかい。今度は粟島にも来てくださいよ。いろいろ紹介するから」。ぜひ近いうちに、と約束した。
文・黒島 一樹(観音寺支局) 写真・久保 秀樹(写真部)
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