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オリーブ(小豆島) 実る葉風に郷愁募る
 実りの時を迎えた緑の実が秋色の風に揺れている。ここはオリーブの島・小豆島。観光施設はもちろん、道路沿いの植え込みや小学校の校庭、民家の庭先まで至るところにオリーブの樹が立つ。手延べそうめんやしょうゆなどの地場産業、銚子渓や寒霞渓などの観光地も有名だが、やはり「オリーブの島」である。

青い海と空に映えるオリーブ。実りの時を迎えた実が潮風に吹かれてゆらゆらと揺れる=内海町西村のオリーブ公園
青い海と空に映えるオリーブ。実りの時を迎えた実が潮風に吹かれてゆらゆらと揺れる=内海町西村のオリーブ公園
 明治末期。日清、日露戦争に勝った日本は、勝ち取った漁場で捕れるイワシを缶詰にして輸出することを発案した。一緒に詰める油を輸入品に頼ると採算性に難があるため、国内でのオリーブ栽培に活路を見いだそうとした国は、一九〇八(明治四十一)年に香川、三重、鹿児島の三県を栽培試験地に指定した。

 しかし、待っていたのは病害虫の猛威。各地で栽培中止を余儀なくされる中、小豆島だけが栽培に成功する。「日本のオリーブ栽培発祥の地」という地位は、地元農家をはじめとする関係者の努力の結晶だった。

 時は流れて五一年、一枚のレコードがリリースされた。「オリーブの歌」(詞・河西新太郎、曲・服部良一)。小豆島バス元会長の故・堀本文次さんによる観光PR戦略の切り札だ。何度も何度も東京へ通い詰め、「堀本さんの熱意に負けました」と服部さんを口説き落とし、今も歌い継がれる名曲は誕生した。

オリーブの実の塩漬け作業。おつまみや漬物代わりとして人気を集めている=資料
オリーブの実の塩漬け作業。おつまみや漬物代わりとして人気を集めている=資料
 やがてオリーブは五四年に県木となり、農家の生産意欲は高まって栽培面積も広がった。しかし自由化に伴う安い輸入品に圧迫され、生産は次第に衰退していく。暗雲を振り払おうと有志が結束し、「オリーブを守る会」が結成された。合言葉は「全島に銀色の葉影を揺るがす緑の波を」。

 小学校の新入生に苗木がプレゼントされた。子供たちは家の庭に植えて成長を楽しみ、兄弟や姉妹、友達同士でオリーブの背比べをした。自分たちで摘み取った実を浅漬けで味わう「オリーブ給食」も始まった。ベビーブームに乗って多くの子供たちが生まれ育ち、観光客数も順調に推移。このころ、確かに島はにぎわっていた―。

 現在、土庄・池田・内海三町の合併で再活性化を目指す動きが本格化している。オリーブ栽培・加工大手の東洋オリーブ社長、高橋悌司さんは各町の首脳と合併論議になると「新市の名前はオリーブ市に」と力説するという。「島のシンボルをズバッと打ち出し、珍しいカタカナ名として売り出せば面白いのでは」。

伊勢音頭に合わせて、鯛麺をお披露目。最後にこの辺りでは「繁盛せー、繁盛せー」と言って鯛麺を天高く差し上げる=飯山町内
伊勢音頭に合わせて、鯛麺をお披露目。最後にこの辺りでは「繁盛せー、繁盛せー」と言って鯛麺を天高く差し上げる=飯山町内
 実は、この構想には先人がいたそうだ。「守る会」では毎年、児童を対象にオリーブにちなんだ作文やポスターを募集している。最近、高橋さんが図書館で過去の優秀作品に目を通したところ、一枚の黄ばんだ原稿用紙が目に入った。そこには「オリーブ市ができればいいと思います」と。

 今も昔もオリーブは不変のシンボル。島を離れて暮らす人たちも、ふいにオリーブの話題を見聞きするたび、懐かしい故郷の山河、友たちの笑顔を思い出す。

<オリーブの実る葉風が君を呼ぶ ああ青い空青い波 小豆島山忘らりょか>(オリーブの歌より)
 文・山下 和彦(生活文化部)  写真・鏡原 伸生(写真部)

    
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