菅生神社の社叢(山本町)

2000年10月30日

郷愁を誘う鎮守の森

シイノキやクスノキなどが群生する菅生神社の社叢。昔と変わらぬ姿に郷愁を覚える人も多い
シイノキやクスノキなどが群生する菅生神社の社叢。昔と変わらぬ姿に郷愁を覚える人も多い

 こんもりと生い茂った森の中。「遊び場といえば、この森やった。木登りしたり、巣箱をつけたり。いつも、わしらの声がこだましとったわ」。近くに住む原正司さん(72)は、腕白(わんぱく)だった少年時代を振り返り、話し始めた。

 ここは、山本町の田園地帯にある菅生神社(杠俊美宮司)。約三万五千平方メートルの境内に、シイノキ、クスノキ、アラガシ、クロバイなど暖温帯性の広葉常緑樹が群生する。その種類はざっと百三十種ほど。樹齢は三、四百年のものから、中には七百年に及ぶシイノキの大樹もある鎮守の森だ。

 広大な森に吸い込まれるように小道を進むと、頭上で太い幹や小枝が左右に交差し、視界は薄暗い。まるで未踏地の原生林に迷い込んだ錯覚に陥る。

 菅生神社は、鎌倉中期から住民の信仰を集めてきた。今も毎秋、境内の土俵で子供相撲が開かれており、昔と変わらぬ社叢の姿は、訪れた人の郷愁を駆り立てている。

鎌倉時代中期からの伝統があるといわれる子供相撲。毎年秋、豆力士たちが境内の土俵で熱戦を繰り広げている
鎌倉時代中期からの伝統があるといわれる子供相撲。毎年秋、豆力士たちが境内の土俵で熱戦を繰り広げている

 町長を務めたこともある原さんもその一人。子供のころといえば戦前の昭和十年代で、「神社内にあった小学校を抜け出して、ようここにきた。境内が運動場で、森に見守られて育ったようなもんじゃ」。鎮守の森を見つめるまなざしは少年のままだ。

 終戦直後は、物資が不足していた時代。木材調達などの理由で、多くの森が消えた。だが、この鎮守の森は、先代の宮司らの尽力で守られてきた。昭和二十六年には県、五十三年に国の天然記念物の指定を受けている。

 「でもな。大きなハチの巣などもあり、森は危険でいっぱい」と前置きした上で原さんは続ける。「今の子供は、テレビゲームなどに夢中で、自然を相手にしなくなった。もっと、ふるさとの自然に触れてもらえればのー」。切実な思いが漏れた。

 そんな中、今年の五月、子供たちが森に巣箱を据え付けた。「うまく鳥が入り、卵を産んでくれれば」と、取り組んだのは、神社と隣接する辻小学校の六年生児童。地元の老人クラブ「若松会」の協力を得て木の幹に二十個の巣箱をくくりつけた。児童が自然と触れ合った一コマだ。

うっそうと茂る鎮守の森の中。無数に分かれた枝葉のすき間から、わずかな日差しがこぼれる。次代に残したい自然の恵みだ
うっそうと茂る鎮守の森の中。無数に分かれた枝葉のすき間から、わずかな日差しがこぼれる。次代に残したい自然の恵みだ

 昼間でも境内は薄暗い。背丈の低い児童たちは、高さ三十メートルを超す大樹がひしめきあう鎮守の森にどんな思いを抱いているのだろうか。

 「ものすごく大きい木がいっぱいある。でも、森全体が薄暗い感じで、なんとなく怖いイメージかな」と六年生の武智奈未さん。同じく六年生の高橋友樹君は「一、二年のころは、森で探検ごっこをやったこともある。でも、今は全く森で遊ばへん」。近くにある森は、児童たちにとって遠い存在になりつつあるようだ。

 自然を壊すのも人間なら、守るのも人間。「地域のシンボルを、次代を担う子供たちに守ってもらいたい」。それが原さんの願いだ。

文・藤田 敦士(報道部) 写真・山崎 義浩(写真部)