相模坊から望む夕日(坂出市)

2000年10月2日

残照に重なる死生観

相模坊から望む夕日。まさに熟(じゆく)柿(し)のような大きな太陽が瀬戸大橋越しに沈み、見る者をくぎづけにする=坂出市大屋冨町北
相模坊から望む夕日。まさに熟(じゆく)柿(し)のような大きな太陽が瀬戸大橋越しに沈み、見る者をくぎづけにする=坂出市大屋冨町北

 鉄を溶かしたような赤々と燃える太陽が波間を染めて水平線に沈む。一瞬輝きを増したかと思うと、行き交う船や瀬戸大橋を影絵にしてしまう。空ではオレンジの雲が刻々と色を変え、秋の虫たちが潮騒と競演を始める。

 坂出市大屋冨町北にある相模坊社から見るつるべ落としの夕日だ。「さがみぼう」が正式呼称だが地元では「さがんぼう」で通っている。日本八大天(てん)狗(ぐ)の一つに数えられ「保元物語」や「雨月物語」に登場する相模坊天狗を祀(まつ)る社(やしろ)だ。

 詳しくは「相模坊天狗伝承」の回に譲るが、保元の乱(一一五六年)に敗れた崇徳上皇が讃岐に流された折、上皇に侍従したと伝わる藤原氏の後孫が慶応四年(一八六八年)、上皇の墓所がある白峰寺の一本作りの鴉(からす)天(てん)狗(ぐ)二体のうち一(いつ)躯(く)を現在地に遷座したという。

 「夕日が有名になったのは大橋ができ、カレンダーで大きく取り上げられてから」と話すのは同坊の藤原敏子さん(72)。藤原さんによると「架橋以前の昭和三十八年、同坊を舞台に日活映画『エデンの海』のロケがあり、女学生役の和泉雅子が教師役の高橋英樹を下宿に訪ねるシーンを撮影。この映画を見て古里の島々や夕景を思い出したと訪ねてくる人やカメラマンが多くなった」という。

日没後の残照が備讃瀬戸を染め、行き交う船のシルエットを浮かび上がらせる=坂出市大屋冨町北
日没後の残照が備讃瀬戸を染め、行き交う船のシルエットを浮かび上がらせる=坂出市大屋冨町北

相模坊社を舞台にロケが行われた日活映画「エデンの海」主演の高橋英樹と備讃瀬戸の風景=藤原敏子さん所蔵
相模坊社を舞台にロケが行われた日活映画「エデンの海」主演の高橋英樹と備讃瀬戸の風景=藤原敏子さん所蔵

 落日、残照、西日、夕映え…。朝日や日の出に対して、夕日にはどこか沈み行くものの暗さがつきまとう。崇徳上皇ゆかりの場所だけに人生や死生観を夕日の向こうに見るのは、うがち過ぎだろうか。

 皇位継承をめぐる戦いに敗れ、異郷の配所に不運の最期を遂げた上皇の怨(おん)念が怨霊となる崇徳伝説。さらにさかのぼって菅原道真(八四五―九○三年)が太宰府に左遷され非業の死を遂げ、悲憤のあまり火雷神に化生して自分を陥れた者たちに災害を与えたという怨霊説話。ともに讃岐に縁深い二人には夕日のイメージが重なる。

 「東へ東へと京の空を仰ぎながら、帰京かなわなかった上皇自身が夕日の存在だったと思いますよ」と話すのは郷土史に詳しく「ふるさと天狗草紙」などの著書がある磯野實さん(78)=宇多津町=。磯野さんは「西日に祈る習慣は西方浄土信仰など古来からあり、人間の再生思想を表しているんです」と続ける。

 ほんの数分間の気象現象。それでも、万人を引きつけてやまないのは、その美しさや激しさ、はかなさの魅力とともに人間の根源に眠る思想と無縁ではないのかもしれない。同坊付近では夕日のきれいな日には、思わず見とれて車を路肩に止めるドライバーが後を絶たないという。

おすすめ夕日スポット
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 「秋から冬が空気が澄んで一番美しい。雲が焼けると背後のミカン畑との対比も美しく年に数回は家族を呼ぶことがある。いつまでもこの景色を残し、多くの人たちの心をいやす場所となれれば」と話すのは同坊の藤岡郁夫さん(53)。

 同坊にほど近い五色台山上にある休暇村讃岐五色台は十二月から「ミレニアム夕日の写真コンテスト」作品を募集し夕日の魅力を全国にアピールする計画。

 潮騒と虫たちの大合唱に聞きほれているうちに、昼と夜との境に消えていった残照は波間にモノトーンの航跡だけを描いていた。

文・岩部 芳樹(西讃支社) 写真・鏡原 伸生(写真部)