父母(ちちぶ)が浜(仁尾町)

2000年9月4日

生命の源 遠浅の楽園

 延長約五キロの海岸線を持つ仁尾町。遠浅の浜はハマグリの宝庫として知られ、かつては潮干狩りに来た人たちの車が海岸線にずらりと列をなすことも珍しくなかった。現在、車が並ぶのは夏場だけ。その大半が海水浴客だ。

沈む夕日が照らし出す父母が浜。仁尾町を代表する景勝地は絶好の撮影スポットとして、また子供たちの遊び場として親しまれている=仁尾町仁尾
沈む夕日が照らし出す父母が浜。仁尾町を代表する景勝地は絶好の撮影スポットとして、また子供たちの遊び場として親しまれている=仁尾町仁尾

 高度成長期。港湾整備や相次ぐ埋め立てで全国の海岸は次第にその姿を変えていった。旗印は「利便性」。二十世紀も終わりを迎えようとしている今、手つかずに近い状態で残された海岸は貴重な存在となった。

 遠浅の浜で知られる父母が浜はそんな貴重な海岸の一つ。干潮時には最大で幅約三百メートルもの干潟が姿を現す。潮の満ち引きや生物の営みといった生命の神秘を肌で味わえる格好の親水空間だ。

 干潟とは一般に河口や湾奥で干潮時に露出する砂泥質の地形を指す。水深が浅いため多量の酸素が海水に含まれ、河川や陸地から栄養物質が流れ込む。このため魚介類などの生物が豊富で、シギやチドリなど渡り鳥の飛来地にもなる。

波打ち際に集まる鳥がカニやゴカイをついばむ。物言わぬ浜辺は生命の営みを教えてくれる=仁尾町仁尾
波打ち際に集まる鳥がカニやゴカイをついばむ。物言わぬ浜辺は生命の営みを教えてくれる=仁尾町仁尾

 そんな父母が浜にも開発の波が押し寄せようとしている。この夏、仁尾町や地元漁協、商工会などが中心となって「父母海岸地区江尻護岸研究会」が発足した。打ち寄せる波に洗われて老朽化の目立つ護岸を改修した上で、父母が浜自体の再開発についても検討するのが同会の目的だ。

 「石を投げてみて、さまざまな意見を聞こうという試み。埋め立ててしまおうというのではないし、もちろん砂浜を極力減らさない方向で考える」と仁尾町建設課の担当者。しかし、複雑な表情も浮かべた。「まったく手を加えないというのは…。防災は行政の大事な仕事だし、もう少しにぎわう場所にもしたい」。

 防災上、不可欠な護岸整備は避けられない。焦点はそれ以上の開発が必要なのかということだ。堆積した有機物を取り込んだカニやゴカイを飛来した鳥が食べ、干潟にたまった窒素などを持ち出す。このメカニズムが狂うと干潟は「機能マヒ」に追い込まれてしまう。

地図

 研究会の一員で「父母海岸を愛する会」の副会長浪越建男さんは「失うものと得るものを天秤(てんびん)にかけたらどちらが重いか。答えは簡単でしょう」と指摘する。「仁尾で次の世代に残してやれるものといえば、真っ先に思い浮かぶのが父母が浜ですよ」。次回の会合ではそう訴えたいという。

 八月二十九日。父母が浜は午後五時ごろに大潮を迎えた。海岸線から波打ち際まで二百メートルはあるだろうか。絵に描いたような遠浅の浜が沈む夕日に映える。この絶景をうまく伝える言葉は、残念ながら思い浮かばなかった。

 裸足で浜辺を駆け回る子供たちがいた。鳥たちの群れる波打ち際までたどり着くのはひと苦労だ。「楽しいんでしょう。子供を連れて行くと、いつまでたっても帰ろうとしないんですよね」。浪越さんが笑う。頬(ほお)をなでる潮風が季節変わりを告げていた。

文・黒島 一樹(観音寺支局) 写真・久保 秀樹(写真部)