太古の森(三木町)

2000年7月31日

現代潤す生きた化石

 「真っ青な空を突き刺すように、天に向かって伸びるメタセコイアは見ていて気持ちがいい。次代を担う子供たちに、この木を通じて自然に対する関心を高めてもらえれば」

真夏の日差しを浴びるメタセコイアは、町のシンボル。数百万年の時空を越え、子供たちを温かく見守っている
真夏の日差しを浴びるメタセコイアは、町のシンボル。数百万年の時空を越え、子供たちを温かく見守っている

 元中学校教諭でライフワークとしてカメラを手にする岡沢浄休(きよやす)さん(75)=三木町田中=は、ファインダー越しに映るメタセコイアの存在価値を語る。

 高松市から東へ車で約二十五分。三木町のほぼ中央部に位置する讃岐百景の一つ山大寺池の水面に、ぽっかりと浮かぶようにある「太古の森」。真夏の太陽に木々の緑が映え、セミしぐれが響く。

 町がふるさと創生事業として山林三・七ヘクタールを整備、五年三月に開園した。別名「メタセコイアの森」。業者から購入し植栽したメタセコイア約二千七百本の苗木が、しっかりと大地に根付き、今も成長を続けている。

巨大な恐竜がのし歩いていた時代を“再現”した「太古の森」。人と自然の共生の場に、次代を担う子供たちの歓声が響く
巨大な恐竜がのし歩いていた時代を“再現”した「太古の森」。人と自然の共生の場に、次代を担う子供たちの歓声が響く

 三木町とメタセコイアを結びつけたのは、草花の好きな一人の少年だった。道端に珍しい植物を見つけては、しゃがみ込み観察する。その少年が、後に古代樹・メタセコイアの発見者として世界的に名をはせた植物学者、三木茂博士(一九〇一―七四年)だった。

 三木博士は昭和十六年、和歌山県内の地層から新種の化石を発見、メタセコイアと命名した論文を発表した。その四年後、地球上から数百万年前に絶滅し、化石からしか想像できなかったメタセコイアの現存が中国四川省で確認された。

 二十世紀最大の植物学的業績といわれる「メタセコイアの発見」。気が遠くなるような時を越え再び誕生した「生きた化石」に、世界中が驚いた。

 「父から『三木博士は非常に温厚な人で小、中学生のころから植物に大変興味があり、とても勉強熱心だった』という話を聞いたことがある。偉大な功績を残した博士は、わが町が生んだ大学者です」。讃岐山脈のふもと、博士の生家跡を利用した三木茂資料館の管理をする元中学校教諭の脇豊さん(72)は、誇らしげに話してくれた。

讃岐百景の一つ山大寺池の水面に浮かぶようにある「太古の森」。森の入り口となる浮き橋は、現代と古代を結ぶ“架け橋”だ
讃岐百景の一つ山大寺池の水面に浮かぶようにある「太古の森」。森の入り口となる浮き橋は、現代と古代を結ぶ“架け橋”だ

 メタセコイアは、スギ科の落葉高木。辞典などによると「地球の北半球で広く分布、日本でも今から数百万年前ごろまで群生していた」とある。

 巨大な恐竜がのし歩いていた夢のような時代の植物が現代によみがえった。その業績をたたえようと造られた「太古の森」は人と自然の共生の場。実物を模したティラノザウルスなどの恐竜模型が子供たちを古代へいざなう。

 「太古の森のメタセコイアは、高さ四、五メートルと小さく、まだまだ成長段階。だが、町のシンボルが、私たちに元気と勇気を与えてくれている」と脇さん。水さえあればどんどん成長し、大きいもので高さ約四十メートル、直径二、三メートルほどまでに育つという。

 数百万年前に絶滅したはずの古代樹が四季を感じ、芽生え、新緑、紅葉、そして落葉と姿を変える。今では、広く普及しているメタセコイア。神秘的な自然界の摂理が、物質的豊かさを追い求めた現代人の心をいやしている。

文・藤田 敦士(生活文化部) 写真・山崎 義浩(写真部)