中山の千枚田(池田町)

2001年7月2日

“原風景”荒廃の危機

 湯船山から眼下を見渡すと、急峻(しゅん)な山腹に階段を刻むような棚田が幾重にも広がっていく。山すそから反対方向に見上げると、畦(あぜ)の石垣が何段も重なり、まるでピラミッドのようだ。

湯船山に階段状に広がる棚田。日本の原風景を伝えている=池田町中山
湯船山に階段状に広がる棚田。日本の原風景を伝えている=池田町中山

 池田町中山の湯船山に造られた棚田は「中山の千枚田」と呼ばれ、農村の原風景を今に伝える。一九九九年には農水省の「日本の棚田百選」にも認定された。

 湯船山の標高一五○―二五○メートルの急斜面に千枚田はある。造られたのは、さかのぼること約七百年前という。湯船山からの湧(わ)き水は絶えることなく棚田を潤し、環境省の「日本の名水百選」に選ばれている。

 一枚の水田の面積は、大きいものでも一アール程度しかない。その小ささを物語る話もある。

 『一枚足りない。九百九十九枚しかない。足元を見ると、一枚の小さな田に立っていた』

 はて、名前の通り水田は千枚あるのか。池田町の一九九七年の地籍調査によると、七百三十三枚しかないらしい。

 棚田には国土保全などの機能があるが、景観美も見逃せない。石垣で切られた畦の曲線は、湯船山から押し寄せてくる波のよう。水を張った田と青々した苗、そして黄金色の秋、収穫後にはヒガンバナも咲き、四季折々の表情をみせる。

 昔ながらの農村の風景だが、この姿のまま自然の中に存在したわけではない。人間のたゆまぬ自然への干渉により創造された。農作業の手が入らなければ、たちまち棚田は荒れてしまう。

 ここ数年、中山の千枚田には荒廃の危機が迫っている。理由は至って明白。農家の高齢化と後継者不足のためだ。

 最近五年間ほどは毎年一、二軒が棚田から離れた。代わりに水田を借り受ける農家のおかげで、休耕地の割合は一割程度に踏みとどまっている。現在は約三十軒の農家がある。ほとんどは六十歳以上の高齢者。後継者は見当たらない。

棚田での田植えは人の力が頼り。大変な重労働だ(資料)
棚田での田植えは人の力が頼り。大変な重労働だ(資料)

 狭い棚田には大型農業機械が入らないため、田植え、除草、稲刈りの作業は人の力が頼り。美しさとは裏腹に棚田を上り下りすると息が切れる。何をするにしても平地と比べ効率が悪い。

 「今の農家がやめるようになったら、もう次はおらんやろうな」

 日焼けした腕で水田を世話する田原巧さん(67)にも後継者はいない。

 「棚田を残したい気持ち? ない、ない」

 つれない寂しい返事。

 「こんな辛(つら)いことを、他の人に、ようささん。後継者といっても、手の施しようがない」

 一方で棚田保存の機運も高まっている。地元住民の有志八人が一九九七年に「千枚田守ろう会」を設立。草刈り、休耕田を利用した稲作りなどの活動に努めてきた。

 会員のひとり、大峯正敏さん(49)は「棚田で生きるには収益力を高めなければ」と訴える。大峯さんは昨年から、もち米を栽培し、もちやおかきに加工販売している。

 今は会員の都合で一時休止中だが、「生まれ育った湯船山の自然を守りたい」と来年以降の計画を練っている。

雑草が生い茂る休耕田。害虫の避難場所になる弊害もある
雑草が生い茂る休耕田。害虫の避難場所になる弊害もある

 国も棚田保全事業に乗り出し、中山の千枚田では補助金で農道や集会所などを整備した。池田町は一九九八年度から、毎年六十万円を地元水利組合に交付している。

 ただし、急がれる後継者の育成は有効な対策を見つけられないのが現状だ。池田町産業振興課は「どこまで手助けできるか。農家の団体活動で対応できるようになれば」と悩みを深める。

 「あんたが五年後に来たら、休耕田ばっかりになっとる。十年後なら、もっと荒れとるわ」

 田原さんは仕方なく笑う。いずれ消えゆく運命の光景なのか。風に揺れる緑の苗は、どことなく泣いていそうだ。

文・福岡 茂樹(報道部) 写真・山崎 義浩(写真部)