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| 大空へ伸びるタブノキ。無数に分かれた枝葉、隙間からこぼれる柔らかな日差しは、新世紀に残したい自然の恵みだ=財田町財田中 |
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次の世代に郷土の何を伝えたいのか―読者から公募した「残したい香川」の連載が始まる。香川に息づく自然や習慣、味覚など六百件を超える応募の中から、百十件をピックアップし、週一回のペースで、読者の心にある誇りたい香川、忘れたくない香川をリポートする具体的な「二十世紀からのメッセージ」だ。第一回は応募が最も多かった財田町の鎮守の森。
「人と自然のかかわり方、古里の心。そういうものは、大切にしていかなければと思うんです」。生い茂った鎮守の森の中。近くの元教員近井重美さんは話し始めた。
観音寺市と徳島県池田町を結ぶ県道観音寺池田線。通称「5号線」は、産業の動脈、生活道路とし
て地域に欠かせない幹線だ。財田町内の同線沿いを徳島方面へ下ると、財田中小学校の東手にタブノキの原生林で有名な雨ノ宮神社が姿を現す。
タブノキは、県内では財田、仲南町などの一部にしか分布がない希少樹木。そのタブノキを主体とする雨ノ宮神社の社叢は、昭和五十一年に県の自然記念物指定を受けている。
神社北側に面した5号線に今夏、拡幅の話が持ち上がった。香川用水記念公園への進入路拡大を目的に、神社東方の交差点の拡幅が決まったのに併せ、「児童の通学路に当たる神社沿いの歩道も広げてほしい」と町が県に要望した。
当然、神社の一部はコンクリートに埋まる。冒頭の近井さんの言葉は、「降ってわいた」拡幅話に対する率直な気持ちだ。
長久四(一〇四三)年の干ばつで苗代の苗が枯死寸前に陥り、村人が雨ごいを祈願したところ、にわかに慈雨が降り注いだ。以来、雨ノ宮神社と称するようになった、と町史は記す。
大正三(一九一四)年の大嘗祭で、主基殿で使う筵藁(むしろわら)の御用苗を財田村が献納。神社東側の長野川で洗浄したことを記念する石碑が、誇らしげに境内に立つ。
古里の象徴・自慢の森に異変が起きたのは今春。長野川の改修工事に伴う川べりの側道拡幅に絡み、境内の三本の樹木を北側に移植した。しかし、うち二本は根付いていない。「枯れるのを待つだけ」。宮司の宮崎康定さんも、戸惑いを隠せない。
そして今回。青写真では、社叢にはかからない。が、すぐ側の土はコンクリートで埋まる。均衡を保ってきた社叢の生態系に影響がないとは考えにくい。
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| 大正3年6月13日、財田村から大嘗祭に献納する御用苗を洗浄する儀式。現在よりも深く生い茂った社叢が印象的だ(雨ノ宮神社宮司、宮崎康定さん提供)
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「本格的な計画策定はこれからですが…」。県観音寺土木事務所の大西久夫維持課長は、「通学の安全確保と貴重な樹木の保護。二者択一というわけにはいかない」と板ばさみに揺れる心情を語る。
しかも原生林は県指定自然記念物、簡単には手を付けられない。「私の在任中の決着は、おそらくないでしょうね」。自ちょう気味の言葉が思わず口を突く。
「何が何でも反対ではないんです。心の豊かさと利便性との整合性をどう取るべきか。これから良い方向性を見つけたい」と近井さん。問題は、行政と住民との感情的対立という単純な構図ではない。
効果的な保護対策を考えるため、町教委は近く樹医を呼んで樹々を診断してもらう。氏子たちも、樹木やシダ類の生息状況について調査を始めた。過去から現在、そして未来へ。「次の一歩」を模索する動きが着々と始まっている。
開発優先、物の豊かさを追い求めた二十世紀の終わり。小さな山里にたたずむタブノキが、大きな問いを投げかけている。
文・黒島一樹(観音寺支局) 写真・久保秀樹(写真部)
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