21世紀へ残したい香川 読者から公募した「残したい香川」の110選を順次紹介。

HOME > 連載 > 21世紀へ残したい香川 > 高松張子(高松市)

高松張子(高松市) 温かい手作りの魅力
奉公さんに表情を描き入れる乃村七重さん。ただひとりの伝統工芸士だ=高松市八坂町
奉公さんに表情を描き入れる乃村七重さん。ただひとりの伝統工芸士だ=高松市八坂町

 おかっぱ頭の丸顔に、微笑をたたえた小さめの目と口、赤い着物の愛らしい童女。名前は「奉公さん」という。

 奉公さんは郷土玩具(がんぐ)の「高松張子(はりこ)」のひとつ。ほうこさん、ほうこうさんとも呼ぶ。鯛(たい)持ち戎(えびす)、獅子頭、張子虎(とら)をはじめ百種類以上あるとされる高松張子の中でも、奉公さんは代表格だ。

 香川の張子は、松平頼重が入封する際、家臣が製法を伝えたという。高松張子が名をはせるのは、明治になってから、旧高松藩士の梶川政吉によってといわれる。

 奉公さんの誕生には、こんな口伝がある。

 『おマキという娘が、側仕えしていたお姫様の身代わりで病気を自分にうつし、ひとり離れ小島で世を去った。おマキは“奉公さん”と世の人にほめたたえられ、その姿は人形になった』

 奉公さんは嫁入り人形として、あるいは子どもの病気を治すとして重宝された。大阪や京都にも出荷され、大正ごろの日本郷土玩具番付では上位を占めたという。

 そんな奉公さんに代表される高松張子も、昭和に入り、さらに戦時色が濃くなるにつれ、下火になっていった。

宮内フサさん、マサエさんが命を吹き込んだ高松張子の数々=高松市栗林町2丁目
宮内フサさん、マサエさんが命を吹き込んだ高松張子の数々=高松市栗林町2丁目

 宮内フサ。梶川政吉の二女。彼女の手で命を吹き込まれた人形が、高松張子に再び、昔を上回る脚光をもたらした。

 そして、フサの二女の宮内マサエ。フサさんは一九八五年に百二歳で、マサエさんも九五年に八十五歳で、他界する直前まで絵筆をとった。

 栗林公園の南、路地の奥にある自宅。八畳ほどの作業場に必ず正座し、人形づくりに打ち込んだフサさん。柔らかな奉公さんの表情は、全国中にファンを広めた。

 金子正則知事から近所の友人たち、芸能人や海外の要人まで。狭い路地をつたって、フサさんの仕事を見学に来る人は後を絶たなかった。

 「高松張子を背負うなんて気持ちはなかった。ただ、つくることが好きな祖母だった」

自宅の作業場で奉公さんの制作に打ち込む宮内フサさん(左)、マサエさんの母娘。孫の薫さんによると1970年代前半とみられる(資料)
自宅の作業場で奉公さんの制作に打ち込む宮内フサさん(左)、マサエさんの母娘。孫の薫さんによると1970年代前半とみられる(資料)

 マサエさんの長男宮内薫さん(59)。「学校から帰ると、祖母が『今日はうまくできた』とにこにこしていた」と思い出を振り返る。

 フサさんの作業場は、いまも原型や絵筆などの道具が残ったまま。宮内家では現在、マサエさんの姪(めい)が神戸市で人形制作を続けている。

 「知らない人が多いんです」と憂うのは、乃村七重さん(53)=高松市八坂町=。父の跡を継いで三十年余り、高松張子の制作者では、ただひとりの伝統工芸士だ。

 ため息の通り、高松張子の伝統郷土玩具としての価値とは相反し、制作者には需要の低迷という厳しい現実が横たわっている。「でも、手づくりの良さがすたれることはないですよね?」

 臼井融さん(51)=高松市香西本町=は「必ず残る」と力強い。神戸市出身で香川大を卒業後、玩具制作会社で技術を身に付け、約十年前に独立。創作人形にも意欲的で、高松張子の新たな可能性を追っている。

 「効率に追われた九〇年代に、みんなが疲れ、行き詰まっている。みんなが手づくりのぬくもりを求めている。高松張子には、それがある」

文・福岡 茂樹(報道部)   写真・山崎 義浩(写真部)

<<一覧へ ▲画面上部へ
Copyright (C) 1999-2002 THE SHIKOKU SHIMBUN. All Rights Reserved.
サイト内に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています
四国新聞ニュースサイトへ