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| ピーンと張った縦糸に横糸を編み込んでいく。「思うように調整できるのが手織りのよさ」という=高松市磨屋町 |
保多織(ぼたおり)とは、高松藩主・松平頼重の命名で、いつまでも丈夫なことから「多年を保つ」意味でつけたとされる。
なめらかな肌触りと堅牢(けんろう)さが特徴の保多織は一六八九(元禄二)年、頼重の命を受けた京都出身の織物師・北川伊兵衛常吉が考案した絹織物に始まる。
高松藩の秘法織りとして保護を受け、幕府への献上品にも使われたことから、江戸時代は上級武士にしか着用が許されなかった。独特の技法は北川家が六代にわたり一子相伝で伝え、秘密を保持した。
明治維新後、大衆にも普及させようと北川家と姻戚(いんせき)関係の岩部家が技法を引き継ぎ大量生産を開始。絹を綿に変えて浴衣やシーツなどを作り始めた。
保多織の特徴は北川伊兵衛常吉が編み出した織り方の技法に集約される。縦糸と横糸を一本ずつ交差させる平織りを基本にして、規則的に糸を交差させずに浮かせることで、織り上がった布には美しい凹凸ができる。
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| 反物に代わってシャツ、ジャケットなどの人気が高まっている |
糸を浮かせることで生じたすき間が空気を含むことから、さらっとした肌触りで通気性や吸湿性に優れる保多織の特徴が生まれる。冬は逆に肌に触れたときの冷たさをあまり感じない効果がある。
岩部家四代目で高松市磨屋町の岩部卓雄さん(50)は「湿度の高い讃岐の気候風土にぴったりの織物。特に寝具には最適」と良さを訴える。「全国の特産織物の多くが、染め方や柄に特徴を持つ中で、織り方そのものが独特の点も面白い」という。
地場産業としてのピークを迎えたのは一九六〇年前後。保多織を作る織物会社が県内に数社あり、岩部さんの会社だけで生地にして年間三万反を取り扱った。
「どこの家でも女性が手縫いで浴衣や寝間着を仕立てていた時代。当時は反物がどんどん売れたが、今は製品化のアイデアが勝負」。
現在の生産量はピーク時の十分の一ほど。保多織業界は、衣類や小物、インテリアなどへの二次加工と小売を行う岩部さんの会社と布地を織る高松市内の会社の二社だけとなった。
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| 呉服屋さんから注文を受ける。保多織ファンは県外にも多い |
岩部さんは「今はファンに守られている状態。同じ人から何度も注文を受けるが、丈夫で長持ちが特徴だから」と苦笑い。「大ブレークは期待していないが、若い人にこの織物の良さを分かってほしい」と話す。
県の伝統的工芸品の指定を受けており、岩部さん自身も県指定の伝統工芸士だ。「伝統工芸ばっかりを言ってはおれない。シーツ一つ取っても平シーツからベッドでの生活に合わせた袋式やゴム付きのシーツが主流になってきた。作らないものはありません」という。
寝具や普段着といった暮らしに密着した製品を作り続けてきただけに、安価な海外品の台頭は脅威だ。「自由貿易とはいえ、無制限に海外品を受け入れたのでは国内のものづくりの文化は失われてしまう」と危機感を募らせる。
「子どもたちはかわいいですよ」。岩部さんは近くの小学校に招かれ、地場産業を学ぶ授業の講師を務めることが増えたという。「保多織に限らず、讃岐に根ざしたものづくりの文化に触れるだけで、伝統工芸への理解はずっと進むと思う」。新世紀を担う次の世代への期待を話す時、厳しかった表情に笑みがこぼれた。
文・靱 哲郎(報道部) 写真・久保 秀樹(写真部)
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