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だんご馬(中・西讃地区) 男児の無事成長願う
だんご馬の作製過程

高尾さんの両手がだんごを雄々しい馬の姿に仕上げていく。まさに名人芸=綾歌町栗熊西
高尾さんの両手がだんごを雄々しい馬の姿に仕上げていく。まさに名人芸=綾歌町栗熊西

 世継ぎの誕生はいつの時代も祝い事。旧暦の八月朔日(ついたち)、中西讃ではだんごの馬を作って男の子の無事な成長を願う風習が残っている。「馬節句」とも呼ばれる「八朔(はつさく)の節句」には、勇ましい跳ね駒(こま)が家々に並ぶ。

 立秋のころになると、町のお菓子屋さんがだんご馬の予約を受け付け始める。実りの季節が近づいてきた知らせだ。綾歌町栗熊西の高尾文男さん(70)も、今年の馬作りを始めていた。元々大工だった高尾さんがだんご馬と出会ったのは約五十年前。長男誕生の祝いにと親戚からもらったが、どうせなら自分で作ってみようと始めたのがきっかけというから面白い。訪ねると、なるほど普通のお宅。「東の人は知らんでしょうな。おそらく栗熊が端ですわ」。そう言いながら作業を進めてくれた。

できあがっただんご馬は節句の家に飾られ、子供の健やかな成長を願う
できあがっただんご馬は節句の家に飾られ、子供の健やかな成長を願う

 だんごの材料は米の粉、もち米、少しの砂糖。水を加えながら粉練りした後、約二十分せいろで蒸し、杵(きね)でつき上げる。そして鉄と木の骨組みにだんごをつけ、上半身、下半身をかたどっていく。首や胴体、脚の形をみるみる整えていく表情は何とも優しい。独学で始めた馬作り、体形の研究には金刀比羅宮の神馬を何度も見に行ったという。「ええ形になってきたと思えたのは十五年くらいたってからかな」。名人技はさすがに短期間では生まれない。

 体形が整うと、ガラス玉の目にたてがみ、しっぽを付け、歯もしっかり植えてやる。紅白の手綱と五色の帯できれいに飾ると完成だ。作り始めて五十年近く、四百頭を超えるだんご馬が生み出されていった。「お父ちゃんと息子、二代続けてこしらえたこともよくある。多い年は十五頭、今でも七、八頭は作るかな」。一頭約三時間。しんどい作業だが、頼まれる限りはやめられないようだ。

 いつもは節句の家に行き、子供たちの目の前で馬を作り上げる。飾った後は刻んで近所に振る舞い、地域全体で祝うのが習わしになっている。昔は男の子がほしい人が馬からシンボルだけを頂戴(ちようだい)する、といったことも多かったとか。砂糖醤油(じようゆ)をつけて焼いたり、きな粉をつけて安倍川(あべかわ)にしていただくという。まだ柔らかいおこぼれを初めて食べたが昔懐かしい味だった。

 うれし、めでたしの祝い菓子。今年の八朔はまさにきょう、九月十七日。道端にはススキや彼岸花がやさしく揺れ始めた。どうか子供たちが健やかに育ちますように―。

 ◆一口メモ 馬節句の風習は崇徳上皇が讃岐に流されて来たとき、慰めるため米の粉でだんご馬を作ったのが始まりとも、講談でなじみの乗馬の名手・曲垣平九郎(まがきへいくろう)が丸亀藩の家臣だったことにあやかったとも伝わっている。そのため丸亀藩にゆかりの深い地域に風習が残っている。男児の出生を祝い、秋の刈り入れを控え、豊作を先祝いする行事とされる。

文・村川 信佐(観音寺支局)  写真・鏡原 伸生(写真部)

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