芸品

御厩焼(高松市御厩町)

2001年3月26日

岐路に立つ生活雑器

赤れんがの煙突が製陶所の目印。現役の窯元は数えるほどだ=高松市御厩町
赤れんがの煙突が製陶所の目印。現役の窯元は数えるほどだ=高松市御厩町

 高松市南西部の御厩(みまや)町は素朴な生活雑器、御厩焼の古里。戦後から一九五〇年代の最盛期には二百―三百軒の窯元がひしめき合い、赤れんがの煙突から立ち上る煙が途切れることはなかった。

 時代は移り、現在も焚(た)かれている窯は三、四軒ほど。豆を炒(い)る焙烙(ほうろく)など、素焼きをいぶした黒肌が特徴の御厩焼を作り続けているのは、この道六十年近い山田清明さん(75)しかいなくなった。

 山田さんは、祖父から数えて三代目の窯元。自宅の大きな土窯で、讃岐名物のしょうゆ豆作りに欠かせない焙烙や火消し壷(つぼ)、火鉢、土鍋(なべ)など庶民の暮らしにとけ込んだ製品を作り続けてきた。

御厩焼の伝統を守り続けた大きな土窯の前に座る山田さん=高松市御厩町
御厩焼の伝統を守り続けた大きな土窯の前に座る山田さん=高松市御厩町

 今、山田さんが守ってきた御厩焼の伝統が、後継者不足で存廃の岐路に立たされている。「この仕事はしんどい。若い人はおそらくやらんと思う」と語る表情には寂しさが漂う。

 御厩焼は土を練って型を取り、粗づくり、仕上げ、乾燥までに約十日。そして釜の中に焙烙なら一度に六百―八百枚を入れて焼く。

 いったん、窯に火を入れると約二十時間焚き続ける。最初は三十分に一度のペースで薪(まき)を入れるが、本格的に焚きだしてからは十五分に一度のペースとなり、燃え盛る窯の前で付きっきりの作業となる。当然睡眠も取れない。

 山田さんはこの冬、体調を崩して仕事ができていないという。五十年以上、仲良く二人三脚で頑張ってきた一歳年下の妻アヤ子さんも同様だ。

 高松市商工労政課は「継承者がいないために、なくなることは避けたい」という。しかし、「伝統工芸の指定や各種展示会、物産展などへの出品などでPRに努めているが、後進の育成まではなかなか難しい」という立場だ。

焙烙の型に粘土を入れる山田さん。厚手の素焼きのため、大量の土を使う
焙烙の型に粘土を入れる山田さん。厚手の素焼きのため、大量の土を使う

 「生活雑器は安価な道具。家に飾るもんでもないし、代わりがあれば、あってもなくてもいいということになる」。製品を作り続けてきた山田さんの言葉だけに重みがある。

 山田さんとて産地の衰退を、手をこまぬいて見ていたわけではない。新たな需要を掘り起こし、新製品を開発してきた。

 御厩焼の代名詞といえる焙烙は、十年あまり前から旅館や日本料理店で魚を焼く道具として注目され始めた。「注文は東京、静岡、富山など全国各地の日本料理店や旅館などから来ている。旅館の注文で、小皿ほどの焙烙を何百枚も収めたこともあった」と目を細める。

 茶道具の釜や風炉は、鉄製と違ってさびないことから人気製品の一つだが、手が回らないので断っている状態。「多額の収入が得られるわけではないが、仕事はようけある」という。「仕上げかけの仕事があるので、なんとかそれをやってしまいたい」。山田さんの仕事にかける情熱は燃えているが、われわれは祖先が築いた伝統をまた一つ失いかけている。

文・靱 哲郎(報道部) 写真・鏡原伸生(写真部)