芸品

石工の技(牟礼、庵治町)

1999年12月6日

岐路に立つ“職人魂”

あくまでも手作業にこだわる岡田一郎さん。機械化の陰で忘れ去られようとしている先人から受け継いだ伝統技術は、21世紀に残したい“石工魂”だ=牟礼町久通り
あくまでも手作業にこだわる岡田一郎さん。機械化の陰で忘れ去られようとしている先人から受け継いだ伝統技術は、21世紀に残したい“石工魂”だ=牟礼町久通り

 牟礼、庵治両町の境にそびえ立つ五剣山のふもと。土壁に囲まれた納屋風の石工場から、ノミを打つ音が響く。訪ねてみると、あくまで手作業にこだわる石工職人岡田一郎さん(67)が、庵治石を相手に黙々と仕事に打ち込んでいた。

 灯ろうだけを作り続けて約五十年。「手作業から生まれる製品は、見た目の柔らかさや温もりを醸す。でも、商業ベースから考えると、効率性に優れた機械化は避けられないのが現実。伝統の技を残したくても残らないのでは」。不安の言葉が思わず口を突く。

 五剣山から採れる庵治石は、磨けば磨くほど輝きを増す名石。岩質が硬く加工が難しいだけに、先人の職人たちは知恵を絞りながら技のレベルを高めたという。土色の岩肌がむき出し、痛々しくも感じられる五剣山の姿こそが、庵治石と職人の歴史を物語っている。

 代々受け継いだ手作業の加工過程に急速な機械化の波が押し寄せたのは、昭和三十年代。時期を同じくして、世界のブランド「庵治石」の人気が高まり、業者は加工作業の効率化と大量生産を目指した。

土色の岩肌がむき出した五剣山の採石場。森林法などで産出量が制限される世界のブランド「庵治石」に、「開発と自然保護」の共存が求められている=庵治町丸山
土色の岩肌がむき出した五剣山の採石場。森林法などで産出量が制限される世界のブランド「庵治石」に、「開発と自然保護」の共存が求められている=庵治町丸山

 研磨機械などの進歩は、磨くほど美しい光沢を放つ庵治石の持ち味をさらに引き出した。その反面、機械操作を覚えれば、石工職人が長年の経験で身に付けた熟練の技はいらない。機械化の陰で、この地で培われた伝統技術は忘れ去られようとしている。

 出来上がった墓石や灯ろう、モニュメントは“石の芸術”として高い評価を受けている。だが近年、外国産の原石ばかりでなく、高度な加工が施された輸入製品も目に付くようになった。「今の地場石材業界の平均的な生産割合は、外国産六割、国内産三割、庵治石一割ほどでは」と讃岐石材加工協同組合代表理事の山田一夫さん(60)。

 輸入される外国製品は割安。「それだけに、伝統産業の産地としてざん新なデザイン追究や変革の時代に即した新分野拡大が必要。技術面も機械だけに頼らず、若手に職人の技を継承していきたい」(山田さん)。新たな活路を見いだそうと躍起だ。

 歴史をひもとけば、牟礼、庵治の両町が「石の町」として栄えたのは、世界に誇る庵治石が採れるからこそ。しかし、その産出量も、採石法や森林法で制限されてきた。

昭和10年代、巨大な庵治石を手作業で削岩する職人たち=牟礼町内(石の民俗資料館所蔵)
昭和10年代、巨大な庵治石を手作業で削岩する職人たち=牟礼町内(石の民俗資料館所蔵)

 「開発と自然保護」の板挟みに、庵治石振興会顧問の三好治さん(68)は、危機感を抱く。「山自体に庵治石はたくさんある。しかし、現在の規制で、採掘計画のめどが立つのは約二十年後まで。その後も採石するためには、丁場をもっと広げなくてはならない」。今後、規制が厳しくなっても緩やかにはならないだろう。

 庵治石がこの地で見つけ出され悠久の時が過ぎた。先人の石工たちは優れた伝統技術を生み出し、多くの芸術家も世に送り出している。庵治石に魅せられ、牟礼町にアトリエを築いた故イサム・ノグチさんもその一人だ。

 「職人と機械化」「開発と自然保護」。相対するテーマの共存が一層求められる二十一世紀。「有限の資源」である庵治石への思い入れが強ければ強いほど、石材関係者らの前に突き付けられた問題は深い。

文・藤田敦士(生活文化部) 写真・鏡原伸生(写真部)