芸品

讃岐漆芸(高松市など)

1999年11月29日

産業、芸術の融合かぎ

 「香川の漆器業者は作るのは上手だが、PRがへたなんです」。県漆器工業協同組合の元理事長田中優さん(74)は、伝統的工芸品産業振興協会の「全国漆器産地の知名度と規模」調査を開きながら解説する。

色漆を塗り重ねた座敷机に絵模様を彫る職人。伝統の技法を生かした家具や漆器は高い評価を受けている=高松市上福岡町、モリシゲ
色漆を塗り重ねた座敷机に絵模様を彫る職人。伝統の技法を生かした家具や漆器は高い評価を受けている=高松市上福岡町、モリシゲ

 昭和六十一年の調査によると、従業員数でみた香川の漆器産地としての規模は、千八百人で全国五位。一方、知名度は三・九%に過ぎず、対象となった二十産地のうち十七番目。知名度八七・九%で断然トップの輪島塗(石川)は、従業員数では二千四百一人で三位。産地規模では輪島と大差のない讃岐漆器の名前が、全国的にいかに知られていないかを明確に示している。

 「知名度の低さは、今も変わらない。従業員規模は年々縮小しているのではないか」。田中さんは全国屈指の産地でありながら、不況にあえぐ讃岐漆器の将来に強い危機感を募らせる。

 讃岐漆器の発展は、高松藩主の保護の下、玉(たま)楮(かじ)象(ぞう)谷(こく)(一八〇六―一八六九年)に代表される名工が優れた技法と作品を後世へ残したことが背景にあった。昭和五十一年には、讃岐漆器の「蒟(きん)醤(ま)、存(ぞん)清(せい)、彫漆、後藤塗、象谷塗」の五つの技法が四国で初めて国の伝統的工芸品の指定を受けた。

 昭和二十九年には、蒟醤、存清などの後継者育成と伝統技法の継承を目的に、全国初の県漆芸研究所を高松工芸高内に設置。重要無形文化財保持者(人間国宝)の音丸耕堂、磯井正美、太田儔(ひとし)の各氏が指導に当たるなど、高い技術の伝承に努めている。

昭和37年ごろの座卓工場。表面を研ぎ上げる作業は、女性の手で行われることが多かった=資料(上) 全国漆器展開催に合わせて会場地を走らせた宣伝車。昭和30年ごろ=モリシゲ提供(下)
昭和37年ごろの座卓工場。表面を研ぎ上げる作業は、女性の手で行われることが多かった=資料(上) 全国漆器展開催に合わせて会場地を走らせた宣伝車。昭和30年ごろ=モリシゲ提供(下)

 漆器産業は日本間に不可欠な座卓を中心に、戦後最盛期を迎えた。組合は「産業に従事していた人口は昭和三十年代が一番多かったのではないか。三千人くらいの人間が百社前後の組合企業で働いていたようだ」という。

 しかし、バブル崩壊後から続く不況を背景に「一昨年ごろから組合員の中でも倒産が目立ち始めた」と、理事長の森康一さん(58)は表情を曇らせる。岐路に立つ漆器業界では、本物志向の消費者ニーズにこたえる優れた漆器や漆塗り家具が至上命題として「次代を担う新しい商品の開発が欠かせない」と分析する。

 同組合が活性化の起爆剤として期待を寄せているのが、県が五月に通産省から承認を受けた「特定中小企業集積活性化計画」。家具・漆器製造業の振興を目的に、十五年度までの五年間、毎年千八百万円を国と県が補助。組合はそれを受けて、マンション生活や高齢化社会に対応した家具、木製食器の開発に乗り出している。

 県漆芸研究所の移転問題や県立美術館など県の文化施設整備構想の中で、漆芸作家の作品展示と職人の実演、販売などを一体的に行う「漆芸会館」の設置計画が過去、何度か話題に上った。

 県漆芸研究所の移転問題や県立美術館など県の文化施設整備構想の中で、漆芸作家の作品展示と職人の実演、販売などを一体的に行う「漆芸会館」の設置計画が過去、何度か話題に上った。

 会館構想について、田中さんは「期待は高いが、現在の産業界にその実現に伴う出費に耐えられる体力があるかどうか。しかし、讃岐漆器は芸術と産業の両輪が相まって県の文化である、という認識をもっと高めていかなければ」と、必要性を強調する。

 いい物を作り、使ってほしいという願いは、職人と作家に共通した認識。江戸の名工たちに端を発した讃岐漆器の歴史は、その両者が分化した歴史でもあった。かつてない不況の中で、業界は芸術と産業の融合という大きなテーマを突きつけられている。

文・靱哲郎(報道部) 写真・久保秀樹(写真部)